以前からの予定通り、一週間程オーストリアに行ってきました。現地のレストランから駐日オーストリア大使館を通じて、日本研ぎ文化振興協会に依頼があり、私がイベントでのパフォーマンスを任されました。
出発前から知人(風景・建築好き)に、現地の画像を見せろと言われていましたので先ずは、ウィーンに到着してからのほぼ順番通りに。
空港です
離陸(成田)
着陸(ウィーン)
宿舎になったホテル。傍には国連のビルも。階段や室内には絵画が。
道路の向かい側から。中央の車線と側道でちょっと御堂筋風に感じます。人通りを含めて交通量はかなり控えめですが。
真っ直ぐ行くと川に出ます
徒歩20から30分で、ドナウ川です。車道と段差を付けて地下鉄と歩道(自転車道併設)が一体になった橋が架かっており、中洲を挟んで向こう岸まで渡れます。橋の中ほどには地下鉄の駅があります。ホテルからの最寄り駅は、橋の手前に在るもう一つです。
手前の川岸。鳥も四種類ほど居ました。白鳥と真鴨、ユリカモメみたいな鳥、烏と鳩の間みたいなサイズとカラーリング(白・グレイ・黒)の鳥。
中洲(左側)に下りるスロープ。自転車、ランニングの人がちらほら。
対岸の教会と船着場。ドナウの始まりから終わりまでのクルーズや、もっと短距離・短時間のツアーもあるそうです。
イベントに先立ち、系列の別レストランで研ぎの指導を。
内部は色々な設えで、此処は最も明るいスペース。試食を兼ねて食事を頂きます。
その後、厨房にて研ぎの説明と実演。一番切れない包丁を、と言うとかなり丸っ刃になり、裏からも角度の付いてしまっている柳を差し出されました。一応、修復する方向で研ぎ始めましたが、裏押しがまともに出来ない内は、若干両刃的に角度付きで返りを取らざるを得ないと判断しました。シェフに研ぎ上げた包丁で実際にサーモンを捌いて貰いましたが、頭を落として三枚にし、腹膜を梳き取る動きは上々の様子でした。途中では吟味する表情でしたが、最後に笑顔で良かったです。
次の日は、シュテファンなんとかで待ち合わせです。地下鉄の駅から上がると待ち合わせの時間には早過ぎ、場所も判然としなかったので(どれが約束した教会か)、少し見晴らしの良い縁石に座って待つ間、周辺の写真を。
ツヴィリングやストウブなど鋳鉄鍋の店も
教会の中。神様は一人だけれど、聖人が夫々、ジャンルを分担して加護を与えるといった説明を聞いて、日光月光両菩薩みたいだなと思ったり。
中心部の 広場周辺。
端っこでハープを弾いていたり。ラピュタのエンディングだったような。
OECDのヘッドクォーター等が入っているとの事。
像の向こうは国会的な建物だったかと。それ以外の役所(財務省や内務省?)も城・宮殿式のデザインみたいです。
広場から少し離れると美術史博物館と、その向かいに瓜二つの自然史博物館が並んで建っています。
内部(展示室以外)です
帰りに日が傾き
彼が今回、通訳とガイドを引き受けてくれたヨハネスさん。日本の文化や宗教にも詳しく、漢字の読み書きも出来る程(私の走り書きのメモも読めたのには驚き)。一時期、日本に居た事も在り日本人の観光案内は御手の物といった風情。
主要な建築物や有名な通りは勿論、裏通りの老舗や裏路地の地元民御用達の名店も網羅。
ヨーロッパでペストが流行した時期に、収束した事を感謝して作られた物だそうです。
ここの左側には呼び込みの(?)お父さんが居て、「コンチェルト、七時、どう?」と日本語で誘ってくれます。
昔から王侯貴族に金の装飾品を納めていたとか
サザビーみたいなオークションの会社を通り抜け。
カフェにも 何軒か連れて行ってくれました。予想以上に御菓子が充実しており、中には一階の売り場がケーキ屋にしか見えない店も。それもあって、観光客には入り難いのも頷けます。実際には二階は落ち着いて飲食できる調度になっていました。ケーキ類は基本的に、街の伝統的な物と店の名物、そして季節の物が並んでいる様です。
ザッハトルテ(と同系統)の想定を上回る甘さには驚嘆。
唯一、自分一人で入ったのはザハホテル併設のカフェらしかったのですが、兎に角メニューに日本語の表記が混じっていたので飛び込みました。注文したのはウィナーシュニッツェルとかいうウィーン風カツレツです。団扇みたいな広くて薄い奴に苔桃のジャムの小瓶、レモンの半割りが付いてきました。それらの御蔭と、酸味を効かせたジャガイモも相俟って、さっぱりと食べられました。一緒に頼んだのはアールグレイです。
オペラ座で行なわれたドンキホーテのバレエも、運良く予約して貰えたので鑑賞する事が出来ました。先の腹ごしらえは此の為です。何と三幕です。
しかし二幕目から到着した隣席のお姉さんに、三幕目との間の休憩中に何処から来たのか、日本なら宮崎駿を知ってるか、どの作品が面白いか教えろ、など聞かれたので焦りつつも片言の英語のみで独断と偏見により答えておきました。
いよいよイベント会場のドッツレストラン(十周年記念パーティ用内装)で準備です。話してみると当初の話と色々異なる状況に困惑しつつも、代用や流用で何とか整えて開場を待ちます。
駐オーストリア副大使のテラオカさん(名刺が横文字のみ) と名刺交換と挨拶、イベントのオーガナイザーの方と打ち合わせ等している内に騒がしくなり、そのまま始まりに。
御蔭で、会場やゲストなどを撮影する余裕も無く、画像は以下だけです。(イベント会社からの画像を大使館が転送してくれたので、二枚追加します。その後、動画も送られて来ましたが、自分では全体どころか周囲も余り意識していなかったので可也、衝撃的な映像でした。こんな事になっていたとは)
現場のレストランのシェフや、ゲストの包丁くらいは研ぎましょうと言っておいたのですが、到着してみると2ダース近い包丁が様々なレストランの料理人から届いていました。
オーガナイザーその他からは、ある程度研いだら酒を片手に談笑でもしてれば良いと言われましたがそんな気分にもなれず、結局8時間くらいのイベント中に全て研ぎ上げて来ました。途中、何度かテレビのクルーが撮影に来ますが、只でも余分な照明が二倍になって厄介な上、レポーターが覚束ない手つきで包丁をカメラに見せるので気が気じゃ無くなります。
それ以外にも、トマトやキュウリを「ヨハネスさんの研いで居ないステンレス包丁・自分が研いで持って行ったステンレス包丁・司作の三徳」で切り分けて試食させたり希望者には試し切りさせたりしました。切れの違いと共に、切られた食材の味の違いを確認できたとのコメントも結構頂きました。ですので、今回包丁は一本当たり15分から20分位で研いで居ました。普通は40分前後ですので、完全な形状や傷消しは諦めて80点狙いで捌きました。そして最後には、我が通訳殿の包丁も。
柳で新聞を切ったりビクトリノックスのスーベニアでビニールを切ったりして、喜ぶ人やナイフを欲しがる人(ナイフマニアだかコレクターらしき人)も。結局、まずまずの割合の人に注目されたり、数組のゲストにはかなり食い付いて貰えたので良かったと思います。只、これまで余り切れない包丁しか使ってこなかったシェフ達には、よく切れると喜ばれるか手を切ったと恨まれるかの二つに一つでしょうか。しかし、切れに何らかの問題があるからと預けてくれていたのだから、喜んでくれていると信じたいですね。それでこそ、オーストリアまで出掛けて連続八時間研いだ甲斐があると言う物です。
因みに、夜中?四時辺りでイベントが終わり、此方も後片付けを終えたのは五時過ぎ。ホテルに着いたのは六時を回っていましたが、雑誌のインタビューは其の日の朝九時半です。ヨハネスさんとは二時間半後にロビーにて待ち合わせをし、シャワーの後一時間仮眠、再びタクシーでインタビュー場所のオフィスに移動しました。
此方も事前情報と違って相手は料理雑誌の取材に来たお姉さん三人。相手がシェフやオーナー的な人ではなかったので、普通にヨーロッパにおける和包丁の位置づけや日本の包丁の特徴や優位性に及ぼす要因など、聞かれるままに説明しました。
結果的に、テレビのニュースや新聞に取り上げられた事に加え、上記の料理雑誌でも記事になるとの事で、ヨハネスさんからは画像など手に入ればメールに付けて送ってやるとの事。しかし、今になって考えれば、雑誌の人と話していた時に発行されたら送って欲しいと言っておけば良かったですね。
今回のウィーン行きは、状況が悪くても(準備や設備が整っていない可能性を考慮)何とかなる様に、自分なりに手を打って向かいましたが、此方も急遽変更になった通訳兼ガイドのヨハネスさんの尽力に因る所が大でした。到着初日からホテルのロビーで熱心に打ち合わせに付き合ってくれ、話の理解も早く更に先まで読んで来る。私が研いでいる状況を通訳しながら基本的な研ぎの流れを理解し、イベント中も此方の動きのサポートもこなす。ガイドに至っては街の歴史や建築物の種類にも詳しい。バレエや絵画など芸術の造詣の深さも感じさせる奥行きのある人物でした。一緒に仕事をしても不満を感じさせないどころか性格も良く信用でき、頼れる男。彼との知己を得られたのは最大の収穫かも知れません。
ウィーンを離れる前日から、自分でも思っても見ないほど辛さを感じ驚きました。建物・街並みの綺麗さと人・車が多過ぎない環境、山河・自然の美しさと想像以上に食べ物が旨いのは当然あるでしょう。これらは自分の好みの範疇ですから。しかし、短時間の詰め込み教育的とはいえ、彼から案内された場所、聞かされた話しが幾らかでも具体的に身に染みたので愛着とまで言える感覚になったと思われます。ほぼ毎日、ドナウ川の川岸を散歩していたのが地味に堪えています。まあ、現地に居たときから薄々分かっていましたが・・・日本に居た時はこんなにウィーンにやられるとは、本当に思っても見ませんでした。
いつか再び訪れる機会を持てればと思います。それと同時に、遠からず日本を訪れるであろうヨハネスさんには、御世話になったお返しをと考えますが、関西にも詳しい彼には余り役立てないかもですね。其の分、多少専門分野という事で、包丁・砥石関係で貢献したいです。その頃には渡して来た小さな戸前と巣板を使いこなしているでしょうから、普通サイズの特選砥石やお勧めの包丁でも案内するとしましょう。
最後にお土産です。グラスはボヘミアガラス、焼き物の方は陶器と磁器の間くらいの感じです。どちらも伝統的な物ですが、グラスは三十年も前に母が欲しいと言っていましたのでこの機会にと。