少し前に、舞鶴まで砥石の選別に同行する機会が有ったのですが、期せずして最新の(しかもマニアックに拘り尽くした)人造砥石・その設計思想にも触れる機会と成りました。
勿論、自分でも性能に満足し、使い勝手を気に入って使って来た最重要視している砥石の出元でも有るので、並で無いのは想定の範囲内でしたが。現状は更に製作者の病状が悪化、いや向上心が青天井でした。
会話の内容の詳細は省きますが、最新の人造仕上げ砥石の到達したレベルと先々の可能性に端倪すべからざる物を感じました。普通に良いとされる天然砥石・或いは其の使い方では、瓦に伍する事が困難に成る未来が見えた・・・と言うか、既にそうなりつつあるのかも知れませんね。(一般の方々の意識では既に相当な過去から、そうなっていたのかも知れませんが・・・まあ段階は其々)
当然、私もコスメティックな目的と言うよりは、性能を求めて天然砥石の上物を求め・使用して来たので切れ(汎用性の高い掛かり)と永切れ(人造・ペーパー・荒砥に数倍する)での結果に納得するまでテストした上での天然仕上げ砥石の採用でした。
では、今回の舞鶴行きで宗旨替えをしたのか?と聞かれれば、NOです。少なくとも、今現在は天然の性能を凌駕する人造砥石を丁寧にテストするまでは保留です。もっと厳密に言えば、何処まで行っても性能差としてでは無く、飽くまでも違いとして現れるのでは無いかと感じました。
先に記した、性能の一端は切れ・・・一発勝負の最鋭利な性能が主。永切れは従・・・ですが、私は此れに拘っています。何故なら、道具であるからには使われている時間が本来であり、整備の時間は無駄、とは言いませんが短いに越した事は無い。おまけに、長く切れるなら研ぐ回数・時間も少なくて済み、減りや買い替えの心配も減る理屈です。
一発の切れは、之までも天然を凌ぐ場合を理解していました。例えば削ろう会などですね。しかし同時に、永切れでは天然に分があるとも。切れの性能維持は、人造が2~3回の使用で低下するのに対して、天然は4~5回の仕様に耐えると直に聞いた事が有ります。飽くまでも、性能が拮抗している上に、研ぎの上手が調整した事が前提でしょうが。
原因としては、天然の研磨成分では削れない成分が金属組織中に存在する事・した場合でも、人造であれば研磨が可能だから、と成ります。対して、研磨が困難な成分が削れない天然であれば、耐摩耗性の高い成分が多数、残存する・・・結果として研磨面は、より耐摩耗性が高い状態に成る。
今回は、その天然の売りとも言える永切れにも迫る可能性を示唆して貰った訳ですが・・・此処から先は、自分的には不確定要素(テスト前)があるので、保留。しかし、前述の内容が現実の物に成ったとしても(いや、疑ってはいませんが)、或る一点の疑問が残る為に、人造への完全な鞍替えは否定的かなと感じました。
さて、(前段は前振り?)本題にも関係する内容に触れて行きますが・・・例えば大工道具は案外、「バラツキ」(鋼材の種類・熱処理等々)が少ない分野かも知れませんが、包丁などは玉石混淆と言わざるを得ません。ナイフ等もそうですが、包丁に向いていない・刃物用として開発されていない各種金属も普通に使われています。尚且つ、使用者(消費者)の使用・メンテナンス技術や経済観念に応じて多種多様な仕様に仕立てて有ります。
従って、金属組織の特性や熱処理後の変化次第で研ぎ方・研ぐべき方向性(研ぎ目の細かさ・研ぎ目の形状・或いは極限までツルツル?)も違って来ますが、人造砥石の種類は其々の特徴を引き出すのに充分でしょうか、そうとは思えません。逆に考えると、少ない種類で全般に対応可能であるならば其れが最高かも知れませんが・・・私の経験では、研削力・研磨力に優れる人造は鋼種・熱処理の如何を問わず、一律に砥ぎ下ろしてくれる物が多かったです。
一律に仕上げてくれた上で結果として、組織の荒い・焼きの甘い刃物も、細かい組織・確り焼かれた刃物と同様に砥ぎ上げて呉れるならば万々歳なのですが・・特に鋭角に研がれた刃先では、ヤワな刃物の永切れは期待外れな事が大半。切れに関しては耐久力(硬さ・応力への抵抗)次第と成りますが、物理的に鋭角であれば切れますので、充分な効果を発揮してくれます。自慢の研磨力の面目躍如といった所ですね。
しかし、天然砥石であれば一律に永切れに優れるとも行かないのが難しい所です。まあ、滅多に優れない物は無いのですが(外れは別です)、其々の鋼材・熱処理・他には研ぎ手によって差が有ります。人造と違って(人造も思うよりは焼き加減などバラ付いてますが)合う・合わないが面倒と言える反面、相性が良ければ持てる個性を引き出す・スペック以上の結果を付与できる可能性も有ります。
例えば、荒い組織の刃物に硬くて細かいだけの砥石を掛けても、刃先に現れる組織由来の荒さを見かけ上、面取りするだけに終わるかも知れません。しかし、砥粒の積層の向き・緻密さ・成分により荒さを活かした結果になる可能性が有ります。例えば、荒いギザの一つ一つに、より細かいギザギザ・セレーション的な波を形成する等。
そう言った意味から、私は刃先の処理に天然を多用して来ましたが、其れと同等以上に重視して来たのが刃体の形状です。或る意味で刃先1mm(本当は0.数ミリ?)の切れが勝負と言えそうな剃刀や鉋に対し、ナイフや包丁が相手にするのは圧倒的な厚みを持つ対象物です。まして、繊維質・粘弾性をも持っている場合が大抵。それらを削る・切断するならば、切削の最中は刃体の側面を対象が接触しつつ移動して行く事に成ります。当然、表面の形状や粗度が抵抗に影響しますが、最も重視するべきは平面・凸面・凹面の違いでしょう。
尚さんとの遣り取りでも、包丁等に関しては刃先限定の切れもさる事乍ら、形状の重要性にも言及されていました。其の指摘は私の認識とも共通する部分が多く、流石に理解が多岐に及んで深いと感じました。其れを踏まえた現状での自分の研ぎは、いつも記載している通りで刃元~切っ先にかけて、鈍角から鋭角への変化。切り刃・小刃は刃先へ向かって徐々に鋭角に・最先端へ向かう最終部分は徐々に鈍角に・・・です。
あと、仕上げ砥石が荒砥・中砥よりも鋭利で永切れするのは、刃先の仕立てが最小(先端のRが小さい)で最大(ギザの山が小さくて多い)になる事。前者は横方向の幅が狭い・後者は刃線上の面積が大きい事を意味します。此の逆では鋭利で無く、角度が同一なら摩耗も速くなりますね。接地する部分が少ないと、削れ易いですから。
あ、万が一あらゆる項目で天然を超える人造が先々に出て来たならば、天然砥石で無く人造砥石を主力に代える可能性は、ゼロでは有りません(笑)。
それでは、近い質の天然砥石でも仕上がりに違いがある具体例として、試し研ぎをしてみます。本当は、自作の切り出しに一部、錆が出始めていたので手入れを兼ねてです。あとは、天然砥石に興味をお持ちの方への参考に。
左の二つは以前からの所持品。右は最近入手の物。何れも、奥殿産の巣板の茶色。硬さで言えば、上二つは同等で硬口。右下は僅かに柔らかく、左下は中硬。粒度は全て、細か目です。
自作の切り出しを加えてテスト。此方の刃金は白紙二号を使って居ます。
奥殿の天井巣板、軟口・やや荒目で準備。
何時もの切り出しでも、準備です。此方の刃金は、青紙(恐らく二号)です。
自作切り出し+新品の薄い巣板
何時もの+新品の薄い巣板
自作+新品の厚目巣板
何時もの+新品の厚い巣板
自作+厚い巣板
何時もの+厚い巣板
自作+中硬巣板
何時もの+中硬巣板
画像で見ても、余り顕著な違いは見出せないかも知れませんが、基本的に硬くなるに従って、曇り気味⇒光り気味になって行きます。そして、切れも其れに比例する傾向に有ります。例えば、押し引きしなくても押し付けるだけで切り進める・切る際の荷重が少なくて済む・・・と変化します。
しかし、再三記載している通り、必ずしもそうとは限りません。例えば今回でも、新品の厚目までは両方の切り出しで切れが向上して行きました。しかし、手持ちの厚目では僅かに差が出ました。いつもの切り出しが若干ですが劣ったのです。一方、自作切り出しは新品と殆ど遜色無し。砥石の研ぎ感・研磨の進み方は殆ど差異が無かったので、相性としか言えないと思います。
そして最後に試した中硬巣板では、逆の結果に。自作の切り出しは切れが低下。対して何時もの切り出しは余り低下せず。以上の差は、白と青の特性から来る違い(青はタングステン・クロム配合により耐摩耗性が高い)とも考えられますが、その割には最初の天井巣板での準備では、双方切れが落ちていました。従って、中硬で研いでも前段階の硬口での結果が残存していたとも考え難い。やはり、相性と捉えるべきかと思われます。
今回はベタ研ぎ・同質の砥石と云う、違いが出難い条件でのテストでしたが、恐らく曲面・曲線を含む刃物の場合は更に影響が出易い筈です。研いでいる際に砥石の食い付き・滑走の程度が刃先の仕上がりに変化を及ぼすと感じるからです。その証左として、曲面の刃物を平面研ぎと同等の仕上がりにする事の困難さは、やって見れば容易に理解出来るでしょう。
ですので、私は平面研ぎにのみ向いている質の砥石は、余り選んで来ませんでした。飽くまでも平面・曲面の両方に向いている砥石(軟・中硬・硬口を問わず)が重視ですが、曲面でも相当に砥ぎ易い砥石であれば、平面もこなせる確率が高かったりします。私に選別を御依頼下さった方々には、実感された方も多いのでは無いでしょうか。天然の雑多さ・複雑さは、慣れるまでは得体が知れない・取っ付き難いと感じる物ですが、扱い方が分かる程に価値を認識し、手放せなくなります。昔から、「刃物は貸しても砥石は貸すな」と言われてきた意味を、身を持って理解できると思います。