前回に関連して

 

前回の記述に関連する内容です。下画像は、私が初めて自分用に買った和包丁で、確か高校生時分に天王寺辺りの店で手に入れました。

作業目的を聞かれたので、主にイカを捌いたり、柵を買って来て刺身にしたりすると答えて出てきたのがこの六寸イカ裂き(箱には正夫と)でしたが、肝心のイカを造る時に錆が出やすく困りました。鋼材と云うよりは寧ろ焼入れの問題(適正温度よりも低かったか?随分柔らかいし)に感じましたが、表面処理の粗さも相当影響していた様です(画像の平と裏梳きに、斜めに深く残存している研磨痕で明らか)。兎に角、作業中に出た錆がイカの断面に茶色く色を付けるほどで、マグロを切った時は色は分からない物の、匂いは気になりました。

お陰で、この包丁は塊のハムや牛肉のタタキを牛刀よりも更に薄く切る用途専門で、他には殆ど出番が無く仕舞っていましたが、近年になって(経年での酷い歪みを木槌で修正後)裏と平を耐水ペーパーと研磨剤で磨き、切り刃を天然砥石で仕上げることで使用に耐える状態になりました。歪みが酷かった名残で、鎬が真っ直ぐで無かったり裏押しが外周のみで無かったりしていますが、本来の目的には適うようになりました。

 

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画像の二枚目は、中央部の平から切り刃、そして刃先の部分です。平は製造段階の粗い研ぎ目をかなり減らしてから磨いた状態。切り刃は巣板で研いだ後、小割りした千枚で均し研ぎ。刃先は鋼部分を敷内曇りで緩いハマグリにしてあります。ハマグリは見て分かり易いように数段階の面構成を完全には繋げずに表現しておりますが、本来は連続した緩い曲面とします(これも均し研ぎ)。

通常の砥石であろうが、小割りした欠片であろうが、均し研ぎは文字通り、段差や凹凸を平滑・又は平滑に近づける為に行っています(微妙な厚みの調整にも)。例えば製造段階の粗い研ぎ目や、切っ先~カーブ・刃元周辺に付けられた削り過ぎの陥没などに代表される問題への対処です。対して、化粧研ぎは僅かな研ぎ斑を均一にしたり、研ぎ目自体をもう一段、細かく仕上げる為に行っており、基本的に形状の不備への対処ではありません(尤も、均しを進めて行けば自然と化粧に近づいて行くし、そもそも「化粧の下地」としても不可欠な工程では在りますが)。

 

 

此処で今回のサンプル、イカ裂きの表面拡大画像です。

下画像は前述した通り、刃先の光り方が黒光り部分の三本線で、不完全ハマグリが見て取れます(間に挟まれて、白っぽい範囲の帯が二本)

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次は鍛接線(中央やや下の波線)を挟んだ切り刃             (ここはハマグリでなくほぼベタ研ぎになっています)

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平の銘周辺のまだ粗さの残る磨き痕

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それよりやや細かくなっている平の部分の磨き痕

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言うまでも無く、天然仕上げ砥石で研がれた切り刃は(未だ完全では無い)平の研ぎ目よりも細かく、錆には強いです。又、平の中でも研磨痕が粗い部分ほど錆が出やすい傾向です。勿論、平も研磨痕を残さぬ完全鏡面まで磨けば、人工仕上げであってもかなり錆び難いですが、もし同程度の番手(相当)であれば、やはり天然が勝る印象です。

面の連続性を向上させる目的での研ぎ・均し研ぎを行った結果は、余分な段差や粗い傷が減少する為、対象物からの摩擦・切り込み抵抗は軽減し、切断面もより綺麗な傾向です。化粧研ぎは鉄粉やガラス粉末を当てて一見、粗い乍らも均一な表面に処理するブラスト等と違い、見た目の満足度を上げる為ばかりでなく、研ぎ斑を消したり目を細かくする効果が本当に伴っていれば、錆の要因を低減する効果を併せ持っています。均し研ぎも同様の効果は言わずもがな。その上、切る際の抵抗や切られる対象物が受ける損傷も軽減し、結果として作業がより楽になり、食材の味の劣化防止に繋がります。

もしも、化粧研ぎのみならず、均し研ぎの意味まで理解していながら双方・或いはどちらかが不必要であるかのような言説が在ったとするなら、それがどのような立場であれ、例え研ぐ立場の者であったとしても、調理の実情を理解していないとしか考えられません。実際にある程度以上の料理をそれなりの年数、或いは回数をこなしていないのなら、そのような意見も出るかも知れず、又、使う砥石が人造と天然で長切れ・耐食性が違うことを確認できなかったとしても、無理からぬ事なのかも知れません(其処まで細かく比較検討している方が珍しいのでしょう)。

私は先述の様なメリットを、そういう層にも理解されるように社団法人や研究機関などを通じて、客観的なデータ収集や意見の集約が出来ればと考えております。個人的な好みや思い込みで物事を断言し、大した検証も考察も無く、他の意見を否定するような愚を恐れての事ですが、仮に自分達のしてきた作業や説明の内容が優れて正しかったとしても、他の遣り方や好みまで否定する事はしないでしょう。包丁という刃物は特に、鋼材・製法・形状・目的・切断対象が千差万別で、好み(思想?)や使われ方も人によっては想像出来ない程にかけ離れている場合も有ると認識しているからです。只、目的や目指す地点が同じ・或いは近いならば、自ずと集約されて来る条件もあると思います。

 

 

研ぎ目について

 

大まかに言って、和・洋問わず包丁の切り刃や刃先の研ぎ目については、より細かい方が錆に強く、滑らかで綺麗な切り口になり、何より切られた(剥かれた)食材の味を損なわない事は明らかな様です(更に言えば、人造砥石よりも天然砥石にその傾向が顕著です)。

上記に関連しそうな経験では、洋包丁で言う所のエッジ以外の裏・表を、人工の研磨剤使用ですがほぼ鏡面に仕上げたペティは、仕上げる前と比べて切った野菜の味がやや違いました。風味の割り引かれる度合いが減少した印象です。切断に直接、最初から関わる刃先のみならず、接触する面の全体が味に影響する可能性を考えさせられました。

和包丁で研ぎ目と云うと、もう少し複雑です。先ず、表の平と切り刃、裏梳きで其々違いますし、切り刃の中でも合わせ(鉄と鋼製)では鋼の部分がより細かい場合もあります。更に製品の値段設定により、廉価な部類はどの部分もが、高価な部類よりも荒い仕上げとなっている事が殆どです。平や裏の仕上げの多くは、木と研磨剤で研がれる仕上げ・膠などで固めた研磨剤付き羽布での仕上げ・柔らかい羽布と細かい研磨剤での仕上げがランク分けで選択される様です。

それ以外では、センや砥石などでかなり細かく、加えてここが重要ですが刃元から切っ先方向(縦)に研磨されている物があります(中屋平治さんの磨き仕上げの包丁など)。何故重要かと言いますと、普通、使用者が手入れする場合には普段の洗浄でも錆落としの磨きであっても、縦方向の動きが主となるからです。峰から刃先(横)への短い距離の往復を数十回~数百回、繰り返すのは現実的では無いからです。所が、前述の一般的な三種の仕上げでは縦方向の研ぎ目となるものは例外的で、縦方向に対して直交、或いは斜めで研ぎ目が入ります。畳の掃除では目に逆らわない事が当然な様に、研ぎ目と動作の方向は一致しているに越したことはありません。そうでなければ汚れ・変色・錆を落とす効率が下がるからです。

そういった訳で、研ぎ目は縦で、且つ目が細かい程に、購入後の手入れが簡単になります。反対に、粗い研ぎ目が斜めや直交に付いていると、それが(多くの場合イコールとなる)低価格品で有る場合は鋼材的にも(鋼なら不純物の割合が多く成りがち・ステンレスなら耐食性に必要な添加物が不十分に成りがちによって)錆が出やすい傾向が加わります。結果としては、高品質な鋼材を高級な仕上げで作った包丁の方が維持・管理の手間が掛からず、やはり値段なりのメリットがあると思います。

普段、特別に「研ぎ目を消そう・細かくしよう」などと思わなくても、汚れが取れ難い時にクレンザー(余り粗いのは避けるべき)やクリームクレンザーで洗っているだけでも、徐々に錆び難くなって行く事も多いです。ところが研ぎに出されると、特に製造元や、そうでなくても機械での磨き(製造段階と同等・若しくはそれ以上の粗さの羽布など使用で)を加える店では一見、汚れや錆が落ちるのみならず製品出荷時(或いはそう見える)の研ぎ目が付いて戻って来るので、それを称して新品に戻ったと喜ぶのは良くあると思われます。確かに手作業よりも均一な揃った研ぎ目が強く光りを反射しますが、それは(作業上、困難であるので)縦では無く横か斜めに結構、深い傷を入れ直された事を意味しています。

特殊な物を除けば、之までの経験では吊るし(箱出し)の段階の方が、軽く磨きを掛けた後よりも錆に強かった物は皆無なので、自分の包丁は程度の差こそあれ大抵、様々な磨きを掛けています。研ぎを依頼された包丁も(特別な仕上げを除いて)、錆や汚れをに耐水ペーパーや研磨剤で、ざっと縦に落としていく磨きは同様です。しかし、完全に研ぎ目を消したりそれに近い状態まで一気に仕上げるのと比べれば、徐々に綺麗に成って行くとは云え、初期段階では新品時の研ぎ目と混合の痕跡となるので見た目は今一かも知れません。研ぎ目その物は間違い無く浅くなっており、錆や汚れは付き難く、切った素材の食味も改善されていると思うのですが、要は新品時の外観と、実際の実用性能のどちらを採るかになるのでしょう。

自分としては、御自身の包丁を育てるつもりで、洗い(洗浄・清拭・乾燥)や軽い磨きといった日常での手入れを励行して頂きたいです(スポンジは峰側から挟んで洗う・若しくは板に載せて刃を浮かさず側面を洗うと余計な所を切り難いです)。そうする事で錆び難さ・汚れ難さなど包丁の使い勝手を向上させるだけでなく、衛生的な包丁による調理によって(食中毒など)健康への被害も防げると思います。

 

 

洋包丁(ナイフ類)の研ぎ減り

 

洋包丁(所謂キッチンナイフ。また、多くの一般的なナイフ類も)の刃付けには、フラットグラインド(平らな研削)・ホローグラインド(刃先近くまで凹面の研削)・コンベックスグラインド(刃先まで放物線的に続く凸面構成)等があり、料理用途に特化して行く程、殊に刃先以外はフラットグラインドが多くなります。しかし、殆ど全てに共通する点としては、刃先から2~3ミリ幅で実際に切れる刃である所のエッジ(小刃)が付けられている事です。

最初の内は、切れが落ちても大抵、エッジを上書きする様に研いで居れば問題は無いのですが、困るのは経年の研ぎ減りや、欠けを取る為に大きく研ぎ下ろす場合です。殆どのブレード(刃体)が程度の差はあれ、峰から刃先まで厚みが減っていく刃付けに成っている為、最初の角度のまま研いで行くと徐々に厚さが増して行き、エッジの幅は広がります(接触面の増加による摩擦)。加えて、断面から見るとエッジの始まりに当たるブレードとエッジの境界の角が食材に切り込む際の抵抗となります(切り込む初期に幅広になった刃先が割って入る際の抵抗)。

上記の問題に対処する方法として、多く用いられるのが刃体自体の厚みを減らす事です。これは刃先の厚みを初期に近づけるのを目的とする物ですが、元来コンベックスでなくフラットな刃物でも実際の研削に於いては緩いコンベックスに近い仕上がりになると思われます。何故なら製造段階と違って、峰から刃先まで均一の面で研削し直す事がほぼ不可能だからです。しかし、元来コンベックスの刃体であれば元々の形状に則って(設計・コンセプトに従って)維持・管理している事になりますが、そうでないなら厳密にはコンセプトから外れている事になります。

一つの例として、(ハンティングナイフの範疇ですが)ガーバーのアーモハイドシリーズでは、高速度工具鋼のフラットなブレードの錆を防ぐ為に、エッジ以外を厚めのクローム鍍金で覆っていました。この場合、研ぎ減ったからといって刃幅の半分や3分の2辺りまで厚みを削り落とす設計思想とは考えられません。そんな事をすれば、余分にコストを掛けたオーバークォリティな鍍金が台無しです。これは極端な例かもしれませんが、自分は製造された状態を大幅に変更する事には抵抗があります。もし、刃先の角度を変えずに研ぎ・使い続けたいならば和包丁の構造を取り入れ、平と切り刃を形成するべきでしょう。

とは言え、肉や魚を適当に分断するだけなら未だしも、傷めずに切り分けたり野菜を綺麗に切るには分厚くなった刃先では上手く行きません。ですので、ある程度は厚み抜きをしなければなりませんが、精精、初期のエッジの2~3倍までの幅で構成可能な鋭角+ブレードとの段差角を丸める程度としています。勿論、それ以上の研ぎ下ろしを行い、広範囲の面の再構築も可能ですが、手間隙に比例した金額となり、何より元々の包丁の成り立ちやコンセプトから外れます。其処まで行けばもうメンテナンスでは無く、リフォームの域と言えるでしょう。作業内容としては工場送り返しが相応しいですが、メーカー刻印(印刷・腐食含む)等が消えるので受けて貰えない場合が多いかも知れません。

使用者が求める様に変更を加えるのが道具、との考え方もありますが、目的に合っていない使い方をしないのも又、本当でしょう。一本で何でも賄って、研ぎ減って分厚くなった牛刀を薄く薄く削りながらペティの様になるまで使い切るよりも、刃幅が半分に近く減って厚みが目立ってきたら、荒い仕事用に振り分ける。そして以前の用途には新しい牛刀を用意し、特に細かな用途や繊細な切れが必要な場面の為にはペティも準備しておいて分担させる。此方の方が効率も良く、道具を活かして長持ちさせる事に繋がると思います。

そもそも、鋼・ステンレス問わず、程度の良い牛刀(に限らず)を手入れしながら(適切な研ぎ・洗浄・乾燥)上手に使えば、一生の内にそう何本も買い換える必要は無い筈ではあります。良い物を大事にしながら適切に使えば、最終的には余分なコストは低く、使用時の負担は軽減(むしろ楽しい)、所有感も満たされ、満足度は間違いなく上がるでしょう。いま一度、振り返って見られるのも良いかと思います。

 

刃物と砥石の相性

 

 

突き詰めていけば、人造でもそうですが特に天然砥石は相性が大事と強調されます。その相性の実態は個々人で考え方・受け止め方が様々でしょうが、自分の実感としては或る刃物に対して、同等他種の砥石より研磨が速い・鋭い刃が付く・仕上がりが綺麗で均一、というものです。これを違う表現にすると、「一段下(荒い)の粒度の砥石を使うまでも無く研ぎ下ろしてくれ、一段上(細かい)の砥石を掛けたといっても良いほどの鋭利な切れを得られる」となります。

上の文の後半はややオーバーとしても、そういう傾向を感じている人はかなり居ると思われます。この様な素晴らしい砥石に巡り合えば最高な訳ですが、そうでは無い砥石に対しても様々な工夫で実用上、問題ない範囲まで性能を向上させうる方法も考案されています。代表例は古来からの名倉・共名倉で、違う砥石の粒子を加えて研磨力向上や傷防止、研磨痕消退などの効果を発揮させる事です。それを更に発展・強化する形で近年では、人工の研磨剤の微粒子を用いて、天然砥石では成し得ない薄さの刃先を形成する事も可能な様です。特に極限の薄さの削り花を目指す鉋の薄削りや、研削痕が皮膚に悪影響を及ぼす剃刀では目的に合致しやすいと思います。

しかし、其処まで追い込むと刃金の表面は、金属組織由来の炭化物などで浮き出る砂地模様が無くなって行く様です。実際、天然でもほぼ完全に鏡面に成る砥石は勿論、そうでなくても今回手に入れた田村山では、表面の炭化物を研ぎ減らす傾向が丸尾山に比べてやや強い印象です。炭化物が大きめ・硬めになり易い特殊鋼の類に向いていると云われる所以だと思いますが、刃先の最先端部を含めて刃金部分に研磨され難い炭化物(元々のサイズは小さい方が有り難いですが)が優先的に残されている方が、耐摩耗性に於いては有利では無いかと思います。砥石の研磨力が優れている程、元来の炭化物のサイズ以下まで小さく研ぎ下ろせる代わりに、刃先の最先端部に基材の部分が多く現れる事にも繋がり、短期での切れは最高でも長切れには不利になる可能性が考えられるからです。研磨力に優れる人工の研磨剤では更に顕著でしょう。

これまで、自分が雑用に使用してきた炭素鋼の包丁に、母親が使っていた古いペティがあります。昔は薄いブレードで鋭角な刃体構造による切れ味しか認識していなかったものですが、その後、鋼材としての性格が見えてからは焼きが甘く、組織もやや荒い、極端に粘り重視の仕上がりだと認識しました。つまり細かい組織による精細な切れではないと。こう云った特徴の製品には、返りが取れ難いステンレス製品と同様に、最終仕上げにカミソリ砥クラスで返りの無い揃った刃先とする事で、切れと長切れに繋げていました。

ところが今回、若狭の田村山(硬口戸前系)で研いで見て正にぴったりの相性に驚きました。この砥石はその硬さから予想できる下限とは言わずとも上限ではない、中庸な細かさでしたが、カミソリ砥の一歩手前の切れに仕上がりました。しかし問題は其処よりも、切れ方が刃物任せでなく使い手によるコントロール性が高く(方向転換や切れ込むペース)、鋼材の組織なりの細かさを生かした感触です。通常、カミソリ砥で仕上げられた炭素鋼の刃先はかなり均一、或いは一定の方向性を感じるものですが、それとは違った方向です。そして研磨が速く研ぎ易い傾向も見られました。

確かに、問答無用で鋼材としての物理的な限界手前まで、薄い刃先に仕上げられる砥石は最高の切れが得られるかも知れませんが、個々の鋼材や製造法の違いによる個性を生かす事とは相容れないのではないか。少なくとも、絶対的に鋭利な刃先を求めて仕上げられた限界性能のランキングで、中間より以下の評価を下された刃物が日の目を見る事は有るのか。そう思ってしまいます。

自分は、性能的に何らかの項目で不満が有る刃物でも、その項目を幾らかでも改善し、他の項目を向上させ、使い手に可愛がって貰える状態に近づけたいと思ってきました。以前、コメント欄で尚さんに「切れ味は程ほどでも大事にして貰える包丁を目指す」といった趣旨で返答した気がしますが、取りも直さず上記の気持ちからです。その意味では、刃物毎の性能に於けるレーダーチャート的見地から其々の項目を、個性を生かしながら上乗せできる砥石と合わせてやる事が理想だと考えています。ですから通常、炭素鋼、特に和包丁は余程必要が無ければカミソリ砥は使いません。精々、裏押し程度でしょうか。使えば簡単に一定以上の切れが得られるのは分かっていますが、個性を引き出す観点からは「使ったら負け(?)」な気がするからです。

 

田村山と古いペティの御陰で、天然砥石に目を向け、相性に拘って探し始めた頃の気持ちを再確認させて貰いました。大変感謝しています。

 

 

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