上の三本の洋包丁は、父と祖母が食堂をしていた最後の頃、二十年ほど前に家族用に使用していた物です。ヘンケルスの牛刀・三徳・ペティという良くある三本セットで、国内生産のOEM品だと思われます。切れ味・刃持ちは余り期待出来ず、欠けや折れが少ない代わりに錆びに強いだけが取り柄かと思って使っていました。しかし後年、研ぎの技術や刃付けの選択、適正な砥石の追加により、日常使用に於ける不満は何とか解消する事が出来ました。
いつも感じる事ですが、良く出来た刃物はあまり研ぎ手や砥石に過大な要求をしない物が多いようです(尖った性格・限局的な性能を敢えて狙った物は除く)。それに対し、値段相応であったとしても、質や性能、仕上がりに難がある物は、研ぎ手・使い手の創意工夫や道具立て・使用法で歩み寄ってやり、性能を引き出す必要があります。例えば、荒い金属組織・硬過ぎ・柔らか過ぎ・欠け易い・錆び易い等。しかし、そういった弱点を手間暇掛けて克服していく過程を観察し、使用する度にそれを実感すると、高性能な製品とはまた違った愛着が湧くのも事実です。大げさに言うと、一緒に困難を克服したというか、問題と戦った戦友というか。元々道具や機械の性能を無理なく引き出すのが好きだった為かも知れません。
次の二本は、母が結婚以来(それ以前からかも)十数年使っていた炭素鋼の洋包丁です。子供の頃は、その薄さも有り、ステンレスよりも切れ味鋭く、研ぎ直しやすい印象でした。常に黒っぽく、赤さびは出にくい様子で、余り磨かれていなかった割には、ブレードの腐食は案外致命的ではありません。嘗ては、柔らかいけれど結構詰まった鋼材だと思っていましたが、現在では数種の砥石で研いで見る事でそうでも無いと感じます。因みに、ハンドル中央の白いラインは、ライナーが入っているのでは無く、タングの腐食・柄材の膨張や変形を削り、エポキシパテで埋めた跡です。
所謂、穴あき包丁も二本ありました。大きめの一本は数年前に知人に贈り、今あるのはこの薄く小さな方だけです。どういう訳か、両方とも一見片刃のようなブレードデザインで、ほぼベタの裏からも小刃が付けられていました。このクラスのステンレスは炭素がまずまず入っているからか、クロームなどをケチっているからか、やや錆びやすい代わりに案外良く切れます。まあ、流し台の材質に毛が生えた様な鋼材に比べればですが。巣板、合砥、カミソリ砥といった手順で研げば、通常、不満は出ない程の切れと長切れになります。言うまでも無く、これも欠点を改善していく毎に可愛くなり、以前はお蔵入りしていた物ですが、今では料理の際の雑用係から、簡単な調理はこれで済ますようにもなっています。