昨日は、小坊主様が研ぎ講習に来られました。三重への御出掛けの帰りに立ち寄って頂き、久し振りに御会い出来ました。
御持参の包丁は出刃でしたが、近隣の方から預かってボランティアで研いでいる包丁も持ち込み、研ぎの方向性に付いて尋ねるなど、以前にもまして熱心さを感じました。
研ぎ前の状態。先ず、出刃に有り勝ちな厚みの残り方や薄くなり過ぎる傾向にある箇所を指摘して置き、実際に砥いで行く事で違いが出るかどうかを観察して貰いました。
刃元が薄く、切り刃中央から切っ先カーブの鎬側に厚みが有るとの予測でしたが、大まかにはその傾向通りで。但し、刃先の切れもまずまずで其れを酷くスポイルしない程度の状態でした。
研承の400番で切り刃全体を。柔らかいので、包丁の形状に馴染んで全体的に当たってくれている様に見えます。
しかし硬目と成る1000番では、当たっている部分とそうで無い部分の違いが明らかに。
其の後、傷の浅い1000番・3000番で余分な厚みを取りつつ、角度変化を狙い通りに近付けて行く研ぎを施します。各工程をクリアする度に、切れの変化を体験して貰いつつ。
小割りの人造砥石で、更に切り刃を均し研ぎ。
もう一段、細かい物でも同様に。
天然に移行し、説明通りの当て方・研ぎ方が出来るか試して貰います。
形状・切れに問題が無く成って来たので、この後は戸前や赤ピンなどで糸引き・裏押しの練習を。切れに違いが出る事も良く理解して頂けた事と思います。最終は、巣板の小割りで切り刃を仕上げて浅葱で刃先と裏押しで仕上げました。
今回は、大変長く様々な会話をしました。物事の概念や、抽象的な事象の捉え方などに付いての質問に答える形が多かったと思います。研ぎに直接関連する内容から、少し離れた部分・思想信条など色々ですが此処では詳細は伏せます。
しかし、突っ込んで聞いてくれた部分には、頭を整理させられたと言うか伝え方が舌足らずだったと気付かされた部分も。下画像は、私がハマグリに付いて説明する時に言いたかった事を略図にした物です。鎬筋から先の、切り刃(両刃)と考えて下さい。
一般に、ハマグリ刃と云うと鈍角で刃先が厚い・切れないと捉えている層が存在しますが、それは①の研ぎ方しか念頭に無いからでしょう。つまり、BとB´からAに向かって砥ぎ減らしながら刃先へ向かって角度を起こしつつ(カーブを描いた点線の形状を目指して)砥いで行く。
しかし②の様に、逆にAを起点としてB・B´へ向けて厚みを抜いていく事でハマグリにする事も可能です。其の場合は、元の角度・厚みよりも薄く鋭角に仕上がるので、「ハマグリが切れない」との言説が如何にあやふやか分かろうと云う物です。
私が良く言う、「耐久性重視のハマグリ」が①であり、「切れ味優先のハマグリ」が②である訳ですが、自分で研いでいるのは複合的な形状です。
個体其々で違って来ますので、一辺倒に語れませんが基本的には切り刃全体を②の(緩い)ハマグリで研ぎ、刃先の3mm前後で①のハマグリで仕上げます。その際、切り刃も刃先も顎から切っ先に向けて鈍角から鋭角に変化を付けています。切り刃・刃先の双方に其々、最適な変化を付け分けて効果を最大限(しかし研ぎ減らす量は最小限)に狙います。
模式的には、②の上に①が載っているイメージでしょうか。切れと永切れを両立させるためにはと、研いで使って考えた結果が此の形状に成りました。汎用性の高さは抜群だと思っています。
小坊主様には、興味深い御話しの中で各分野に亘って頭の整理や内面の見直し?も出来ましたので、受講頂いた事と併せて感謝致します。少々、遠方からに成りますので度々は難しいと思いますが、御説明しました今回の内容を周辺でのボランティア研ぎに活かして頂けましたら幸いです。有難う御座いました。
村上先生
今回、急な講習の申し出にもかかわらず、日程を調整して頂き、また長い時間ご指導頂き本当に有難うございました。
初めて和包丁の講習を受けさせて頂いた訳ですが、何故村上先生の研ぎが、日本料理界の実力者の方に絶賛されたのか!?その訳を是非とも探り当てたいと考えていました。具体的には、切れと永切れの両立を追求され考案された「ハマグリ形状」の実現。その内容は理にかない非の打ち所がない印象を持ちました。
刃物研ぎ技術において、「切れと永切れの両立」の実現こそが目指すべき到達点なのですね。その具体的内容を今回、解り易く、図解までして下さいました。人から授けられた物ではなく、ご自身で試行錯誤を繰り返し、考案された技術ですから、簡単に公表したくないのが心情と思うのですが、あえてブログにアップして下さった事は、この理論で包丁研ぎを実践することが如何に困難か、ということですね。
私個人にとりましては、帰宅して復習、確認させていただいた内容でありましたので、理解がより深まりこれ以上有難いことはなく、深く感謝申し上げます。
最高の研ぎ技術を追求してこられた村上先生ですが、今回
古くからの繋がりある方のお計らいにより、日本料理界の実力者にこれ以上の評価はない程、絶賛されたわけですが、それに甘んじることなく、さらなる高みを目指す村上先生は、一体どこを目指し歩いて行かれるのか?興味があり、様々な質問をさせて頂きました。
あれだけの偉業を成し遂げたイチロー元選手は、飽くなき技術の追求をされた印象があります。そして、彼の人間性、人格にも惹かれるものがあります。人間はこの「肉体」をまとう事でしか「この世」に存在できません。ですから軽視できないのですね。健全な肉体の維持管理の為には、「食事」も大切であり、肉体と精神は不二。相互に影響しあうのですね。
刃物を美しく、よく切れるように研ぎたい思いと使用者への思いやり、さらに最高の研ぎ技術が調和したとき、包丁は最高に輝くのですね。
機能的にも、美観的にも最高の研ぎを目指す実践の継続が、自分自身の人格、人間性の向上にも役立ちそうですね。
「研ぎ」を仕事にするならば、経済的な問題を考えねば、生活が困難になります。妻子持ちの身であれば、なおさら経済的側面を考慮しなければなりません。
業の深い私は、包丁研ぎは「修業」に他ならないと考えます。この「研ぎ修業」は自分にとって、未来への希望の灯りです。今を輝いて生きるための大切な伴侶です。
村上先生、素晴らしい研ぎの世界へ導いて下さり有難うございます。村上先生に学べる希有な幸せに感謝です。
日本和食業界に、村上先生の研ぎが広まりますように。そして、日本の各家庭に包丁研ぎの文化が復興しますように。さらに、世界に包丁研ぎ文化が広まりますように。
以前、「砥道賛成」様が、「砥道とは、世界平和への道である。と書き込みされましたが、私もそのことを強く信じて疑いません。しかし、私には大きな事はできないです。身近な友人知人の包丁を預かり、心を込めて研がせて頂く。それしかできません。天然砥石も沢山持てないかもしれません。高級な包丁も沢山持てないです。しかし、村上先生の研ぎを学び、コツコツと修業を続けます。世界を照らす一本の蝋燭になりたいと思います。
いつもながら、長文の書き込みお許し下さい。自分の今後の研ぎに対する姿勢を確認、整理させて頂きました。
今回のご講習、本当に有意義でした。心から感謝申し上げます。今年、もう1回は大阪に出向きたいです。今後とも、ご指導宜しくお願い致ます。
最後に、質問させて下さい。今回ご指導いただいた「究極のハマグリ研ぎ」は、先生が何年かけて研究し、習得されたのでしょうか?そのポイントは、やはり刃物を如何にぶらさずに維持し、前後運動するかでしょうか?またぶらさずに前後運動するポイントは何でしょうか?再仕えない範囲でご教示頂けないでしょうか。
深く追求する姿勢・理解しようと問い続ける御気持ちに感服しました。私如き、単純で底の浅い人間には透徹する様な其の眼差しは、勿体無く感じました。
しかし、御自身との相違点・事象に対する認識の範囲や結論付けた到達点の有無などは、幾らかでも刺激や新たな視点に成り得ましたら望外の幸せです。当日の会話や今回のコメントからも、全くの無駄には成らずに済んだのかなと感じて居ります。
御伝えしている研ぎ方は、究極と迄には行かないかも知れませんが、私がトライアンドエラーを重ねて辿り着いた実用的な研ぎ方の集大成では有ります。此れが現在の、私の標準研ぎですね。依頼主の御希望や、必要に応じて変更していますが。どの位の期間で辿り着いたのか、定かでは有りませんが試行錯誤の連続で大まかな形に成るのに20数年。正確に、狙い通りに研げる様に成ったのは30年以上でしょうか。未だに刃体の厚み・刃幅・切り刃角度などから割り出して、黄金律などの判別は覚束ない有様ですので、恐らくはもっと人並みの才能が有れば短期間で完成形へ到達できた事と思われます。
ですので、企業秘密とか秘伝とか云う意識は無いんですね。特別で無く一定期間の普通の努力で可能な方は結構、いらっしゃると考えています。そういった方々には、一つの参考例として此の研ぎ方を知って頂ければと公開しています。その結果、刃物が長持ちして所有者に喜ばれ、可愛がられる事。所有者の使用時の負担が減る事。安価な刃物の使い捨てから、中級以上の刃物を大事に使う方向への転換。等へ結び付けばと願っています。
研ぐ際のポイントは確かに正確な動きですが、必要なのは自分の体を使う際にあらゆる場面で角度や方向に留意する事でしょうか。普段から意識して行く必要が有ると思います。あと、講習で御覧になっていたので気付かれるかも知れませんが、単純な前後運動だと曲線・曲面は仕上がりません。カーブや複合面に合わせて三次元で無いと。ましてや、凹凸を均したり形状を変更しようとするなら尚更ですね。自分の身体を使いこなして作った直線や曲線・平面や曲面を規矩として、其れより劣る精度である対象の問題点を矯正出来なければ研ぎは完了しないのですから。
村上先生
研ぐ際のポイントとして、「あらゆる場面で角度や方向に留意する事。」また、「普段から意識する事。」とのご指導、有難うございました。
今回、様々なお話を伺い、自分との大きな相違点として感じたことは、「慎重さ」ということでした。
それは、我を小さくしていく事にも繋がりそうですが、研ぎを通じて鍛錬して参りたいと思います。
また、カーブや複合面に合わせて、3次元で研ぐ技術の習得は、かなり難易度の高いものと想像しています。
ご縁を頂き、村上先生の研ぎの世界を学べることは、この上ない幸せです。しかし、その内容を知れば知るほど、頂は高く、まるで、エベレスト登山に挑戦するかのような心境にもなります。
しかし、焦らずコツコツと万全の準備をして、一歩一歩前進して参りたいと思います。
昨日は、先日の講習に持参致しました知人の包丁とは別の出刃と(錆びがきつく、表の平もでもが大きく凹んだ形状)を夜中まで格闘していました。学んだ「ハマグリ形状」の訓練に至るまでには相当時間がかかりそうです。
しかし、村上先生がご指導下さるように、どんな刃物でも
苦心して研げば、愛着が湧くものですね。持ち主の方が心から喜んで頂けるように、また刃物自身も最高に生き生きと輝くように、研がせて頂きたいと思います。
そこでご相談ですが、先生の研ぎを習得するには我流ではなく、適切な指導を頂きながら高めて行く必要があろうかと思います。しかし、経済的にも頻繁に大阪まで伺い、講習を受講する事が難しいです。そこで、以前に少しご相談させて頂きましたが、「通信教育」のような形でのご指導がお願いできませんでしょうか?
具体的には、こちらが研いだ刃物を送付させて頂き、その問題点などを、先生のブログを通じてご指摘頂くような・・。実際に先生の研ぎ直し等の作業が加われば、高額になりましょうから、問題点の指摘等のみでお願いできればと個人的には考えています。
先生のブログ読者の方々にも、指導を受けたいが、二の足を踏んでいる方もおられようかと思います。そのような方々が少し気楽にお願いできる内容も有難いと存じます。
毎度、図々しいご相談で恐縮ですが、宜しくご検討下さいませ。
小坊主様
慎重であるべき・我を小さくして行くべき、と云うのも本来の自分が大雑把・激しい部分が有りましたので。其れを修正・調節する必要性を感じた迄の事でして。細かい所は随分細かかったり、のんびりし過ぎの嫌いも有ったりで統一感も有りませんが・・・。
通信講座的な物も、需要が有れば考えてみても良さそうですね。追々、内容や方向性にも留意して案を練って行ってみようかと思います。でも、少なくとも最初か途中で一度、講習を受けて貰わないと正確な所は伝わり切らないかなと危惧しますが。丁度、今回のA様との遣り取りで、想いを伝える事の困難さを痛感した所でも有りますし。
村上先生
通信講座的な内容をご検討頂けるようで、嬉しく思います。
今日も、知人からお預かりした三徳を研がせて頂きました。材質はステンレスだと思われますが、仕上砥石で中々刃が付かず、難儀いたしました。材質が硬い?のが原因か・・と考えてみたり・・・最終的に、シャプトンで仕上げました。(手持ちの天然では無理でした。)
また、包丁の形状が理想的な状態とは異なると思えましたので、自分なりに修正させて頂いたのですが、自身がありません。今回のような場合にも、
村上先生にチェックして頂ければ有難いと思いました。
お忙しい中、我儘なお願いばかり致しまして申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
お疲れ様です。小坊主様の包丁を写真で見た限りでは私では不十分な部分が全くわからず、自身の技術の低さを痛感しております。
また、それとは別に切り刃から刃先の形成についてのご説明が、私が理解したと思っていた構造と逆の説明に少し混乱しています。
出刃のように切り刃に強めのハマグリを形成する場合は別として、基本的に②のような刃先に向かって角度の変化が急なハマグリを形成するのですか。その後刃先に角度変化が少ないハマグリを形成でよいのでしょうか。
兵庫のA様
初めまして。小坊主と申します。
昨年の秋頃に、ふと研ぎを本気で学んでみようと思いまして始めた初心者です。
自分の現在の技術でも、家庭で料理をする際に、格段にラクにまた料理が楽しくなりました。
和包丁も何本か大学時代の先輩を通じて入手はしていましたが、中々実際にはもったいなくて使わずに保管していました。研ぐことも挑戦していませんでした。
今回の講習で持参し、写真にアップされているのがその新品の出刃です!私が初めて研いだ知人の出刃は大変な惨状となっております!
初めたばかりで、天然砥石のことも奥がふかそうで、全然分りません。お隣の県ですので、またお会いしたときには、何卒宜しくお願いいたします。
はじめまして。兵庫Aです。こちらこそよろしくお願いします。
私も、まともな和包丁を買うと同時に自身で研いで見ようと思い、ネットや書籍を参考に研ぎ始めたほぼ初心者です。
研ぎ始めてからはそれなりに時間が経っているのですが、その道を深く追求することなく時間が過ぎていました。
いろいろな条件が重なり、刃物を研ぐということを深く気にする様になり最近、村上様の講習を受けさせていただいてます。
私も、次は新品の出刃包丁で最適な形に持っていく際の考え方や手段等、これまで教えていただいた事の包括的な講習となると考えられますので、次の講習まで今までの復習を行っていこうと思います。
また、天然砥石もなんとも複雑で興味を引く対象です。そのうちに京都の砥石屋などいくつか回ろうかと考えております。やはり、この世に二つとない自分が選んだ砥石で最高の結果を生み出せるのであれば、それはとてつもない喜びとなるのではないかと思っております。
兵庫のA様
コメントを有難うございました。お返事が遅くなり、申し訳ありません。
京都の砥石屋を回り、ご自身で天然砥石をご購入なさりたいとは、大変な情熱を感じました。私も見習いたいと思いました。
また、研ぎに対して深く追求したいご心境になられた背景など、お聞かせ頂ければ有難いと、ふと思いました。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。
小坊主様
砥石を探しに京都へに関しては、やはり写真等の画像ではわからない部分が多いため、直接触って選びたいというだけのことです。幸いにそれほど遠くない地域に住んでいるというのも理由となります。
また、自分で選びたいのは何かを突き詰める際に、できるだけ自分が関わりたいとの思いもあります。
もともと、本格的な包丁を手に入れたのは、趣味の釣りで食べることを視野に入れた魚種が多くなったことです。釣って食べるのなら、その食べ方にも気をつけたくなり、さらには調理する道具にも・・・
といった具合で手に入れたわけですが、研ぎという分野には、興味はあれど深く追求していませんでした。天然砥石の効果なども聞き及んでいましたが、それこそ、一朝一夕には行かないことが感じとれていましたので、自らブレーキをかけていました。実際の包丁の切れ方に対しても、何人前も切って切れ味が落ちないという究極ではなく、釣果を処理する間だけ十分な切れがあれば良いというスタンスであったので、完全なベタの切り刃に小刃や糸引きといった研ぎをしていました。
ところが去年あたりから、いろいろな事象が重なり
釣りに遠くまで出かけることが難しくなり、道具のメンテナンスにより力を入れた結果、研ぐという行為に意識が向けられるようになりました。
私自身、凝り性なところがあるため気になりだすと追及したくなります。究極の切れというものがどのようなものか気になると、当然研ぐことに突き当たり、またそのための道具にも興味がわきます。もちろん、刃物にも興味が向き同じ鋼材でも作者で違いが出る以上、そこにも興味が出てきます。
おそらく、刃物関連で私が興味を持っている事象は切れ味という事象についてだと考えています。
故に、直接関係している刃物自体と研ぐ事や砥石を追及しています。きっと、もっと深まれば刃物自体を作りたいと思うようになるかもしれません。
A様
コメントを有難う御座います。其れを待っていたと言うか、そういう疑問やモヤモヤを解消して欲しくて図形(そんな大層か?)も付けてみました。やはり、頭が悪いと考えている構造が正確に伝わり難いのは間違い無さそうです。
例え出刃と言えども削岩機の先端では無いですから、極端な荷重に対する強度が必要では有りません。少なくとも、魚の骨を押し切る・(包丁に良くは無いですが)叩き切るくらいですので、通常予想される必要な強度を満たせば、後は切り離れ・骨から身を梳く動作への貢献、を期待してのハマグリです。
つまり、あからさまな凸形状(きついアール)は不要であり、それこそ切れを阻害します。そこで包丁の出来や目的とする作業にも因りますが、適度なアールで邪魔な厚みを取りつつ、刃先には同程度よりも幾分は強度を高める・(刃先以降への)抵抗を軽減する為に鈍角にして行きます。ですので、図で説明すると②の切り刃を形成した後、刃先の2~3mmで①の先端に加工する事に成ります。この辺りの処理で、欠けや捲れへの対処は常識の範囲内であれば問題は出ないと考えています。
因みに、角度変化が大きいのは②では無く、①の方に成り勝ちですね。刃体の仕立てと狙う研ぎ次第では有りますが。取り敢えず、薄目の切り刃に鈍角の刃先と思って貰えれば。ただ、見かけ上は鈍角刃先最先端でも実際の切れをスポイルするほどでは無い点。例え鈍角切り刃でも刃先周辺のハマグリ具合と、刃元から切っ先までの角度変化で問題無いレベルの切れに調整可能である点。後段部分を証明してくれたのが過日、日野浦さんから修正途中で受け取って来た形状はそのままに、速攻で最低限度の砥ぎを施した柳達でした。粘性・弾性・繊維質と様々な対象で困らなかったそうなので、使い手の腕も有ったればこそでしょうが期待通りの結果と言って良いでしょう。
なるほど、考えていたよりも全体的に変化の大きいハマグリであることがわかりました。イメージ的には地金の部分は緩いハマグリで、刃金の部分から変化が大きくなるハマグリ②を形成した後、刃先3ミリを更に鈍角に緩いハマグリを形成する感じでしょうか。
仮に、切っ先などの刃先の最終角度が30度の①のハマグリを形成する場合、その土台となる②のハマグリは刃先を形成する際に①の鈍角を作る余地を残すため30度以下の角度が最鈍角となるハマグリを形成する。
このような理解で問題ないでしょうか。
うーん、未だ伝わりませんね。A~B(B´)が切り刃です。B(B´)が鎬筋です。つまり、切り刃は基本的にベタでは無い(緩いハマグリである)訳です。ですので、②の変化は大きく無いです。其処が一番の誤解ですね。図が下手だからかもしれませんが、あれは正式で正確な設計図では無いので飽くまでもイメージの模式図です。
後半の、刃先の角度より小さくする為に切り刃を整えておくのは正解です。其の辺りは各種要因・・・刃先に要求される切れのレベル・刃物の耐久性(硬さと粘り)・対象の物性などにより決まって来る最先端の角度からの逆算、これも切り刃角度の決定条件ですね。
複合的な研ぎにしている御蔭で、ベタに刃先ハマグリ・鈍角ベタに刃先ハマグリとか、最低限アレンジで性能の不足もカバーが可能な範囲が広がります。但し、切り刃も刃先も、単純な半円状のアールとか無自覚で計画性のないアールでは、効果が半減ですが。従って、私は等高線を付ける様に極小範囲の平面を多段階・二次曲線的に付けて行く事でハマグリにしています。刃先拡大画像でも、平行線(幅が寄って行っている)が確認できると思います。此れはワザと遺しています。
図形の点線をそのままの形状に落とし込んで考えていたため、②の刃先側1/3のカーブを見て変化が大きいと考えていました。
重要なのは、刃先から鎬までのハマグリ(土台)を形成した後、さらに鈍角の刃先ハマグリを形成すること。
土台のハマグリを形成する際は、その後の刃先ハマグリの最終角度を踏まえての角度形成を行うこと。
つまり、土台ハマグリは刃先ハマグリより浅い角度で作られる為、当然として緩いハマグリ形状を作ることになる。
あ、伝わった様ですね。良かった良かった。講習で研いで見せ、説明して試し切りして貰い、ブログの文章と図を見た相手に伝わらないなら、他の誰に伝わるんだ?と考えて焦り始めてました。
次の大き目の出刃?の講習の機会が実現しましたら、今一度確認と体験をして頂けるかと思います。
小坊主様
天然・人造を問わず、砥ぎ難い鋼材は有る物です。何も、極めて廉価な刃物に限定的でも無く、中級から少し高級品に分類されるレベルにも見られます。私も砥石館にある貝印の、やや高い価格設定の包丁には悩んだ経験が有ります。
人造であれば、取り敢えずは(微細なレベルでの)刃先を鋭角・薄く形成は可能ですので、立体としては「切れる形状」に出来る能力が利点です。角度や力加減によっては、返りが出易いのはネックですが。
天然は、強引に砥ぎ下ろす能力は控え目ですので、適切な角度を一定に研げないと誤魔化しが効かない面は有るでしょう。しかし、返りが出難い面と永切れし易い所がメリットですね。天然で砥ぎ難いのは、超高硬度のみならず粘りが強過ぎる鋼材・仕上がりと云う気がします。
まあ、最後の要素は人造でも厄介では有りますけれど。取り分け現在ではメーカー側も人造での研磨のみを想定している筈ですから、天然で砥ぎ易いかどうかまでは眼中に無いでしょう。従って将来に向けては益々、天然では仕上げ難い鋼材・硬度・熱処理が幅を利かせて行く可能性も考えられます。それでも、天然の利点を活かせる余地がある限りは、人造に甘えないで?砥いで行きたいと思っています。
村上先生
アドバイスを有難うございます。今回の難儀した三徳の研ぎは、いい加減にしないで、何故難儀したのか?その理由を追及してみるのも良い勉強になる気がします。
先生のご指摘で、自身で考えていますが・・・
包丁にメーカー名、その他の記載は全くなく、そんなに高価なものでもない印象を持つのですが、現在の経験、知識では判断するのは難しいです。
先生に直接ご覧頂き、研ぎ直しを含めてお願いできればと思いますがいかがでしょうか?
小坊主様
そうですね、私であれば確実に万全の状態に仕上げられる、とは全く限らないですが難易度の高さの理由が奈辺に有るのか?ならば推察可能かも知れません。現物合わせ・喧嘩殺法みたいな極めて個別に対応しても、満足までは程遠い仕上がりにしか成らなかった包丁の経験は少ないので興味が無いと言えば嘘に成ります。折を見て、御送り頂ければと思います。
村上先生
先日の講習を受けさせて頂いてから、また知人の包丁を預かり研がせて頂くようになってから、以前にもましてこの世界にのめり込もうとする自分がいまして、はたと何故この研ぎの世界に、自分が熱心に取り組んで行こうとするのか?見つめてみたいと思いました。
今朝早くに目が覚めて、「道具の歴史」をネットで検索しました。
人類は「道具」を発明し、文明を発展させてきました。「オノ」→「機械」→「計算機」→「人工知能」と人類は便利で豊かな生活を獲得するために、次々と高度な道具を開発してきました。そして、日本もこんなに豊かな経済大国になりました。しかし、日本人の心の豊かさはどうなのでしょか?
私は、縁あって「人間の本当の幸福とは何か?」を考えて生きてきました。物質的に恵まれた生活が、本当の幸福への道なのか?と疑問に思います。
これから子どもを育てねばならぬ親としても、経済は大切です。しかし、それだけでは子どもは健やかに育たない・・。そんな風に感じています。
この研ぎの世界は、人間が豊かさを手に入れることで、失ってきた大切な何か・・を思い出させてくれるようにも感じています。村上先生の五感の鋭さには驚嘆させらます。身体操作の追求によって、私たち感覚の鈍った人間には、解り得ない世界を体感しておられるようにも感じます。
この研ぎの世界は、非常に手間暇がかかり、経済効率が決して高いとは言えないと感じるのですが、先生の「幸福感」を一度お聞かせ頂けないでしょか?
時代に逆行するともいえる、この研ぎの世界の魅力が、先生の「幸福感」に秘められている気がして、お聞きしてみたいと思いました。
小坊主様
私は結構、能力や技術の習得・向上に興味を持って生きて来ました。其れは原初の道具である切る・打つ道具からバイクや車と云った複雑な物までを含めてです。本当は、此処に勉強や哲学・美術・歌舞音曲も加われば良かったのですが、凡才・非才の身ゆえに卑近な分野に惹かれます。
複雑・高出力の動力を、車体の制御とともに使いこなすのも充実感は有りますが、電子制御を必要としないレベルで天候・路面状況に対応するのは難しい物です。部品の組付け・セッティングも、熟練が必要です。ブレーキなどは、分解・清掃だけでも下手すると性能劣化で素人には無理なくらいで。まあ、そんなモノを意のままに操る事は達成感に繋がりますが、逆に単能故に対象や目的に応じて使用者の技術・知識で汎用性を持たせないといけない。それが出来るか出来ないかが如実に表れるナイフ等は、対極の難しさが有ると思います。高性能なパーツに付け替えれば取り敢えず性能向上・電子制御で角度やスピードの補正、とは行かない。其処に、使い手の能力が問われる・使いこなせば別次元の満足感が得られる、と思っていましたが・・・行き着くところは案外、近い部分も多いと感じて来ています。結局は頭の回路と感覚器を動員して、理論化された身体操作を求められるのですから。多少、必要な肉体的強度に差は有りますが。
人により、自己実現感・達成感・満足感は有るでしょうけれど、私自身は社会承認欲求が其れほど強く無いかも知れません。何故なら己自身が一番の自分へのストーカーでクレーマーだと思っており、そいつらを満足させるので手一杯だからです。私が良く言う、「自己満足が大事」というのはその部分です。他人が全員、認めて褒めても自分が其れ以上の要求をし、満たせていなければ真の満足は得られません。勿論、確かな能力の方に認められればホッとしますが、此れで良しとは成り難いですね。
結論的には、どんな分野や世界でも、理想や目標と定めたレベルや事柄を達成出来るのが幸福と感じます。段階が必要であれば、その一つ一つをクリアする度に小さな幸せを感じられる訳ですね。有る方によっての幸福は、運試し的な結果、誰よりもツイていたら幸せとかが有り得るでしょうが、基本的に研鑽・積み上げで性能向上・維持増進がわたしの基本姿勢です。ですから、管理できない様な繊細な道具・キワモノバイクや車は、劣化が怖いのと失礼に当たるので欲しいと思った事が無い位です。身の丈に見合った中で高望み?して行きたいと思っています。
村上先生
コメントを何回も読ませていただいております。
マズローの段階欲求説について、改めて学び直しました。
マズローは、晩年に超越的な自己実現の欲求に言及されましたが、村上先生は、この「超越的な自己実現」の段階で生きておられるのかな・・と想像いたしました。
先生の幸福感をお伺いし、反省しきりです。私は、観念的な世界で、何の積み重ねもなく、物事を積み上げては壊すの繰り返しで、馬齢を重ねてまいりました。
しかし、村上先生の目指される「究極の研ぎの世界」には大変興味が湧きます。
当然、技術の追求は終わりがないと思うのですが、この研ぎの世界は、技術のみを追求すれば、目的地に到達できうるのでしょうか?また、その他の要素が必要となるのでしょうか?
さらに、今社会で凶悪事件の道具として使用される包丁ですが、人を殺す能力が高いということは、同時に「人を生かす」能力も高いということと思うのですが、どのようにすれば、現代の人間社会で「刃物」が人を生かす道具として再認識され、各家庭の包丁離れに歯止めがかかるでしょうか?
小坊主様
精神世界のみで高みへ至れる程の脳みそ・感受性を持ち合わせていない身としては、身体の動きから正確性や出力の度合いで測る他有りませんので、どうしても観念・理念へ至る内面的な方向だけでは纏りませず・・・。
研ぎのみならず、殆どの技術を要する分野では、己の視覚的・運動的・感覚的な感性で正確さや違いを弁別する能力が求められます。例えばそれは、平面・直線・直角・な物や其れを行なう動作を糺す要請からです。仮に克己奮励深謀遠慮の果て、前記内容を実現できたとして人格の陶冶も並行して成し遂げられるものでしょうか?私は何方も有り得ると思います。
勿論、自動的に両立して最終的には一挙両得、が望ましいのですが・・・人格や性格、思想信条は身体能力の才能には関係ないからです。唯一の望みは、才能の不足・理想が高過ぎによる目的達成不可能への対策として、小さな我を捨てて一心に努力する際には、我儘勝手・欲得ずくの心理を洗濯出来るかも知れませんね。そもそも、人心の荒廃を防いだり安寧秩序を訴求する宗教からして争いの種に成ったりする始末です。私から見れば各宗教家と信者は、己の宗派のメンツにかけて、世界平和に反する様な身内に毅然と対処すべきでしょう。心理・内面から人間性を高めたり人間社会に広く共感を得るなど程遠く、本末転倒と言わざるを得ません。其処から考えても、技術・術技の追及で自動的に既定路線で聖人君子が製造される事は無く、ましてや社会全体を矯正する事も無いでしょう。ただ、人間が本来持って生まれた負の感情(これも、必要性が有るから無く成らないとも思いますが)や、本能的な競争心・敵愾心などをコントロールする術に成り得るとは感じています、ただし、此れも個々人の性格や地域の文化で変わりますので、一定程度の期待に留めるべきでしょう。何れにしても、あらゆる分野で言えますが私が関わる物事の一つで、世の中を良くする特効薬たり得る事は無いと思います。寧ろ、そうであったら多様性も弾力性も無い世界と云う事に成り、脆過ぎますからね。自他ともに、余り力まず出来る事を頑張るしか無いのではと考えています。
殺傷力のある道具や運動エネルギー・熱エネルギーはすべからく危険でしょう。極論すれば、大きくて体重の重い人間は走っては成らない事にも成ります。全てはコントロール可能かで決まるでしょう。それが実現できない内は、運用しないか極めて小規模・低性能からテストして行くべきかと。従って、包丁を扱う能力が低下すれば包丁の必要性は低下し危険性ばかり高まるでしょう。対処法は、扱い方を覚えたり触れる機会を増やすしか無く、使えない者に(銃器や車より危険性は低いですが)刃物を使わせるのは悪徳とも成り得ます。理想や良き時代の復権を目指すのは間違っていないとは思いますが、全体を一つの方向へ導こうとすれば祖語も生じますし、方法論も強引に成りがちですので琴線に触れる、縁なき衆生以外の方々と考えたり練習して行くのが良いと思っています。取り敢えず最低限、自分の要求を満たす技術を習得してからでも遅くは無いでしょうし、その程度もクリアしない内から余所様を感化・教化は気が早いと心得ます。
兵庫のA様
研ぎに対して、熱心に取り組まれるようになった背景がよく理解できました。有難うございました。
私の父も釣りが好きでした。(といっても、近所の砂浜でゴカイを掘り、ハゼなどを釣る程度ですが)私も子供の時は、父について一緒にでかけていたことを懐かしく思い出しました。
私も凝り性の部分があるようですが、何事も中途半端な取組みとなり、反省しきりです。A様のように、とことん追求される方には大いに刺激を頂きます。
最近、食生活が玄米菜食が中心となり、動物性のタンパクを頂く事が少なくなったのですが、出刃包丁を研ぐ勉強をさせて頂く以上、魚をさばく技術の習得も必要ですよね。また、ご指導頂きたいと思います。宜しくお願いいたします。
村上先生
ご指導を有難うございました。
自身の深き業を反省せねばなりません。度重なる愚問をどうかお許しください。
今後とも、ご指導の程、宜しくお願い致します。