御知らせ(御挨拶?)

 

パソコン関連が得意でないので、御協力のもと形にして貰ったショッピングカートでも、砥石の販売その他を始めました。その場での呼称と云うか名称ですが、「硎ぎ屋 むらかみ」に成っています。硎の字は、砥石や砥いでいる姿を表しているそうです。石の右側の刑は、刑罰の刑でも有りますが型・形と同じと見做し、「見本・あらわれる」の意味もあるとか。

最近の研ぎ講習を受けて頂いた方から、私のやっている内容は研ぎ道だと指摘を受けました。自分では、まだまだ其処までは達していないと感じましたが、上記の協力者の進言も受けて共に考えてみました。特徴的なのは、砥石と刃物の相性を研ぎ技術と不可分と捉えて、仕上げに使う砥石に重きを置く点。となると、「研ぎ」の道よりも「砥石」の道の方がより近いのでは無いか。少なくとも、対外的にイメージとしても理解を得られ易そうです。

そう言った訳で砥と道で「砥道」と成りますが、読みとしては「しどう」に成ります。士道にも通じる音で恐縮ですが、縁起は良いかも知れません。折角ですから海外向け表記?もと奨められ、4do(shido)との案を頂きました。私としても真の切れに求められる各要素は、刃物(鋼材・鍛冶技術含む)・砥石・研ぎ技術・切る技術の四つが不可欠と言って来ましたので、其れを体現している感じもして不思議ですが。

研ぎ講習に付いても受け付けたり(受講者様から要望も)、砥石山見学も受け付ける(常連の方から賛同が)準備中ですし、小割りの砥石も作ってアップして行ければと思っています。御興味のある方は宜しく御願い致します。

 

 

砥ぎ屋 むらかみ4do 砥道

 

 

「御知らせ(御挨拶?)」への29件のフィードバック

  1. 研道カッコいいです!
    是非今年こそは研ぎ講習受講したいです。

    ラインナップの砥石も楽しみです!

  2. S様

    有難う御座います。でも、「研ぎの道」に否やは無いものの・・・ややこしいのですが砥の字で「砥道」。どれだけ砥石好きなのかと云う感じですね。

    自分でも未だ、表記に間違いをしかねませんが。微力ながら更に精進を続けて一層、御役に立ちたいと思います。

    1. 一番大切な所を間違ってしまい、申し訳ありません。

      砥道!

      僕は、良い包丁と、ご選別頂いた最高の砥石達が揃ってます。
      後は研ぐ技術、切る技術、精進します!

      昆布締めを薄く引くの難しいですね。
      身が崩れてしまったりで、濡れた布巾で拭いて切る反則技思い付いて誤魔化してしまいました。

      うまく切れる技術と切れる研ぎ出来るように頑張ります!

      1. いやいや、有る有ると言うか何と言うか。寧ろ、周知に貢献して頂いた様な格好で。

        例の昆布締め、やって見ましたか・・・覿面に難易度が上がり、楽しめますよね。濡らしながらでないと難しいのは標準仕様でしょう。でも、上手く切れると嬉しいし、味も通常とは一味も二味も違って此方も楽しいものです。

  3. 村上先生
    私の進言に対しまして、ここまでお考えいただいていたとは 、大変嬉しくまた 恐縮 致しております。
    改めてお尋ねいたします。砥道が目指す最終到着地とは何処なのでしょうか?
    先生の志をお聞かせ頂きたいです。
    また、ロゴマークも素晴らしく完成度も高いと感じますが、どなたの制作でしょうか?

    1. 小坊主様

      色々、お話し合いが出来て感謝しております。以前からうっすらと、時に考えなくも無い御題では在ったのですが、未だ早いでしょと思っていました。

      でも、考えを見直し気持ちを固める(大袈裟?)後押しを頂きました。現在も、相談にのって頂いている所ではありますが、引き続き有意義な活動に繋がる様、ご高配を賜れましたら幸いです。

      あ、協力頂いているのは中岡さんです。一部、相談して意見を入れて貰ったりしています。

  4. 初めまして
    ブログを教科書のように拝見してます。

    切刃をシノギから刃先に向かって緩いハマグリとは、ベタでカエリが出るまで研ぎ下ろさず、刃先を立ててもシノギ下からハマグリにするには相当とが下ろさないとならないという事でしょうか?

    また、和包丁の裏の研ぎ方ですが、縦研ぎが望ましいですか?

    1. セイジ様

      恐縮です。幾らかでも、ブログが御参考に成りましたら幸いです。

      切り刃を緩いハマグリ、とは凌ぎ筋から先を殆どベタに研いでから、特に切り刃中央より先を先に行くほど研ぎ落とす形状です。と言っても実際は、数字の上での大差は無いですが使用時の張り付き(引き摺り)防止や、要する力の軽減に繋がります。

      裏押しは、病的に意識しなければ縦も横も変わらない印象です。薄削りの鉋でも刃表は縦が駄目とか言いますが、大鉋は縦研ぎだったりするみたいですよね。ましてや、裏押しは大抵の場合で縦研ぎでしょう。

      特に天然では一定以上の細かさの砥石に成れば、(研ぎ方が安定している前提で)研ぎ目の向きも絶対的では無い状態に近付くのではと。其れで満足いかない時は、砥石の目のや研ぎ目の方向に思い巡らせてみても良いかも知れません。

      1. 悩みが解決しました。

        私は裏を研ぐ時縦に研いでいたので先輩激怒され納得行かずでした。

        また、表も縦研ぎなのですが、鋼を研ぎたい時、シノギ側を研をとか場合と押さえる場所や角度を変えながら、ストロークを小さく研いでいます。
        こちらも間違いなさそうですか?

        髪の毛ですが指でつまんでいる状態1センチくらいの場所では切断出来ず、摘んでる一番根元だと、切れますしスライスできます。

        摘んでる状態1センチくらいの場所を切断するには、もっと細かい砥石を使うのでしょうか?
        もっと刃を薄く研ぎなさいという事でしょうか?
        使っている砥石は丸尾山の白巣板と戸前うぐいすです。

  5. 適切に研げる方の縦研ぎを、横研ぎだからと云う理由だけで容易には超えられないとは思っていますが・・・ただ、「返りを取り易い方法」という事であれば、裏も表も刃先が砥石を削る方向に進めるのが正解では有りそうです(私も縦気味の斜めです)。其の上、返りが取れる際に刃先が荒れる可能性が低そうとの意見も正しそうです。でも、巣板系統を使う・泥の中で軽く動かす、の方法なら(最終研ぎ)返りは柔らかく落とされそうですね。カリカリの刃先とは違うかもですが。

    御使用の研ぎ方は、目的と研ぎ手の能力に因り適不適も変化しますので一概には言えない物の、所定の成果を得られているのなら間違っていない筈です。

    髪を切ったりするのは切れ方の種類も有り難しいですね、刃金も地金も曇る巣板クラスではミクロのセレーション的な切れ方に感じます。半鏡面~鏡面に成る砥石では、髪に余計な外乱を掛けない(刃を進める圧力のみで振動・揺れが少ない?)印象です。何方も良く切れると言えますが、後者の方が対象の質量がより小さい・固定が緩い場合に有利かなと。

    髪の先の方で切ろうとすれば、基本的には刃自体の厚みや刃先の鋭角に頼る事に成りそうです。しかし、其れを目的にすれば本来の仕事に支障を来すかも知れません。ですので、髪切りは飽くまで刃先の精度・掛かりを診る指標の一つとすべきです。固定の直近であっても、毛髪の表面に切り込めている事に変わりは無いのですから。本来的な刃体形状・刃先角度を維持して尚、高難易度テストに努めるのは研ぎの努力として正しいと思います。

  6. ご無沙汰しております。
    先日、やっと新しく始められました「砥石のショッピングカート」を見つけました!すごくリーズナブルな価格で驚きました。先生が、手間暇かけられて現地調達、また商品加工などされておられるにも関わらず、このお値段は有難いですね!

    「砥道」の普及で、廃れつつある「もったいない」の精神が蘇ればよいですね。「砥道」は老若男女にお伝えできたらいいですね!また、学校教育の現場にも、是非「研ぎ」が取り入れられるとよいのにな!とふと思いました。

    1. 小坊主様

      有り難う御座います。ショッピングカートは未だ未だ充実させている途中ですが、実用的な物とサービスを(品目は少なくても)御提供出来ればと考えて居ります。

      御指摘の様に、研ぎの道が勿体無い精神の発露に繋がり(砥石と刃物のみならず)無駄な消費に幾らかでもブレーキを掛けられたら幸いですし、ハサミとカッター程度の使用に限られ勝ちな教育現場で、小刀や研ぎを見直される切っ掛けの一つにでも成れば望外の幸せです。

  7. 様々な分野に研ぎの文化を お伝えする意義を感じているのですが 、 例えば刑務所にお伝えすると、どういう効果が期待できるでしょうか?

  8. 小坊主様

    刑務所に、という事ですが対象は受刑者(最終伝達目標)、という事でしょうか。刑務官が体得するかどうかで、収監されている者の更生プログラム終了時に有意の差が見られるのか、では無く。ざっと思いつく内容を記してみますと・・。

    私の提唱する研ぎは包丁主体と云う事も有って、立体的・三次元的とも言える複雑な研ぎ方が大半を占めるかも知れません。但し、その根底にあるのは平面研ぎです。平面を狭小面積で、段階的に複数に砥ぎ分ける事でカーブや曲面構成します。

    研ぎの文化の指導、と言うなら一義的には刃物(例えば)の研ぎが上達する訳ですが、之は所内で既に様々な仕事が行なわれている中、とりわけ家具を作ったりする作業工程で直接的に効果を上げるでしょう。のみならず、平面の維持・直線の見立てなどの目視での確認・身体操作に伴う運動器と感覚器の連動や向上が見込めるでしょう。ヒンジ運動が主体の関節(関節たち)を使って、直線や平面を規矩とする動きに同調させるには修練が必要で巧緻性や共同運動の精度に直結します。

    上記の後半に関しては、木工関連のみならず、機械工作や金属加工の面でも生きて来ると思われます。基本的に鑢で削るのも電動工具で削るのも、必要とされる要素は同根であり、鋸を挽くのと丸鋸などを用いるのも同様だからです。そしてその延長線上には、出所後の生活を再建するに必要な各種職業に求められる能力の錬磨に繋がると考えられます。

    二次的には、其処まで効果が波及すれば幸いなのですが、研ぎと言うシンプルでありながら奥の深い行為によって集中力が高められたり、持続したり。あるいは技術的に一定のレベルに到達してからでしょうが、瞑想的な好影響も受けると思われます。それらが齎すのは、精神の健全化や強靭化そして心の安息とも言うべき落ち着きである事でしょう。即ち、自らを律する能力に長け・外界からの刺激に過剰に反応し難く成り・安定した人格の形成にまで寄与するのでは無いかと期待できます。

    1. 熱のこもったご返答をありがとうございます。
      私は、包丁の研ぎを学んでまもなく、「包丁を研ぐ習慣」は包丁による犯罪に対して、有効な働きがあるのではないか?と想像したのです。

      日本社会での殺傷事件は「包丁類」による犯罪が最も多いらしいですね。

      吉田兼作氏という大学教授は、「包丁を規制した場合における犯罪発生率低下の概算」という論文を発表しておられます。「包丁」を社会からなくして、ハサミを調理に使いましょう!と論文で書かれておられます。現在は、調理用の優れた「ハサミ」も登場しているのでしょうか?しかし、このような研究をされている先生が、「包丁研ぎ」の意義を理解されたら面白いかもしれないですね。

      受刑者の再犯率に貢献するためには、刃物を研ぐ行為で得られる一義的な効用である、「刃物をよく切れるようにする技術の習得」のみならず、刑務所内での日常的な生活習慣として「研ぎ」を実践し、体得して得られる「自分自身の心を制御」することのできるレベルまで、到達することが望ましですね。そのためには、刑務所内に常駐する、適切な指導者の存在が必要でしょうか?

      包丁という便利な道具にも「光と蔭」がありますね。「研ぎ」に興味を持った人間として、包丁の蔭の側面を放置してよいのかな・・?とふと思うのです。

      村上先生が40年近くも研鑽を積まれてきた「研ぎの世界」
      その刃物のがもつ、「最大の切れを引き出す技術の習得」を通じて、自己を律することを学び、心を磨き、人格の完成をも目指していく道・・・。それが、「砥道」という道なのでしょうか?

      より多くの方々に理解され、同じ道を歩まんとする同志が増えるといいですね!私も微力ながら、協力させて頂く事が出来ましたら有難いです。

  9. 小坊主様

    銃刀の規制が厳しい日本に於いて、凶行に及ぶものが偶々包丁を悪用しているのでしょう。その証拠に、準備する余裕が無ければ其の場にある尖った物や鈍気が使われるのでは無いでしょうか。昔から不思議だったのですが、レンガで殴り殺される人が増えたらレンガを規制するのでしょうか?それなら次は、棒状の物や石などが使われると思います。

    病気以外で、日本で一番人が死ぬのは自動車とか自殺でしたか。殺す目的でも無いのに(事故で)圧倒的多数が死ぬ自動車が禁止されていないのは、デメリットを抑えてメリットが有るのでしょうか。最近では、テロ目的で集団に突っ込む輩も増えていますが、何人が犠牲に成れば・いつ其のバランスが引っ繰り返ったと判断し・いつ規制が始まるのでしょうか。産業界からのあれやこれやが強いのかもですね。

    たまたま、巡り合わせで殺傷力と秘匿性、入手の容易さで包丁が選ばれているだけなのに、その責任を追及する相手が違う気がします。当局が規制する刃物の種類が増える一方ですが、其の成果として犯罪が減っているのでしょうか?アメリカでは銃器が普及していますが、相変わらずナイフでの殺傷も健在だそうです。兎も角、人間の攻撃性が無くならない限りは武器の使用がゼロには成らないでしょう。殴る訓練をして殺傷力が向上したからと言って、拳(こぶし)を禁止する訳にも行きません。光と闇は、全ての道具・全ての事象に付き物でしょう。

    研ぎの道の好影響として、もしも其の傾向に歯止めを掛ける、僅かな可能性の一つにでも成れるとすれば重畳です。是非とも、御協力を賜れましたら幸いです。此れ以上、文明の利器への濡れ衣とも言うべき不当な扱いが減ってくれる事を望みます。

  10. こんばんは。ダイナマイト
    も良い例でかと。
    ノーベル財団ができたのも光が落とす影から生まれたあたらしい光。
    今では、すべてが手に入るに等しいほどの賞ですものね。

    使役するものの心ひとつに尽きますね!それをモノに責任転嫁するなど傲慢だし論外じゃないですか。

    砥道には鋭利さを追求する中でさえ、単にこのくらい切れたらどう危ないかとか記憶できると思います。
    喧嘩をして叩かれた痛みを知り手心など覚えるのも似てます。
    砥道に触れる中で 刃 モノ に慈しみや尊厳をもつことそのものが鋭利さを追求することと等しいと気づけば、粗野に扱われることも決してないと思います。

    砥道。これは世界平和につながる万人にとっての利益です。

    1. 今晩は。賛意に感謝致します。

      正に、ノーベル氏の功績が代表的ですし、少し角度は変わりますが核技術もそんなイメージ、いや軍事技術全般もですか。

      自分が大事にしている物は大切に扱いますので逆説的に、或る物を大切に扱う事で其れを大事にする様になる効用も出て来るかと思います。手間暇かけて手入れ・世話した対象を、粗末には扱いたく無いのは人情でしょうから。

      大量消費や使い捨ては資本主義(需要は作れ・購買意欲を煽れ)の習いでしょうから、引っ繰り返るとは思えませんが其れに異を唱える方・物事へのライトなかかわり方を是としない方には、共感して頂けるものと考えていますし、その位の多様性は有っても罰は当たらない筈です。そして少しでもエコに繋がるなら、環境への負担に対しての心理的負担も軽くなろうと云う物ですね。出来れば、禁欲的な理念・取り組みとして無理に馴染もうとするのでは無く、楽しみとして受け入れて頂ける方が増えると幸いです。

  11. 村上先生

    日本で刃物による殺傷事件が多いという現実に対して、その凶器となるものを規制すれば良い。という考え方では、問題の根本的な解決にならない。と、私も考えます。

    先日、千葉の小学生が父親の体罰によって、亡くなりました。親が子供を殺し、子供も親を殺す世の中です。そのような悲しい事件の背後にある根源的な原因を考えますと、仏教的な表現では、「煩悩」ということでしょうか?!根源的な煩悩は三毒といわれるようですが、欲が深ければ、怒りという煩悩も強く、その制御に苦労します。

    では、この「煩悩」というやっかいな暴れ馬を完全に滅することは出来るのか?それは、できません。煩悩は人間が生きるための本能のエネルギーですから、それと上手く付き合い、いつも手綱を握り、暴れ馬をコントロールしてゆかねばなりませんね。そこには、工夫や技術が必要になってもくるでしょう。

    殺人まで犯してしまう人間は、欲深く、煩悩の強い人間といえるのかもしれません。しかし、その背景には、過酷な家庭環境が有ったり、幼児期に親からの愛情を十分に受けることが出来なかったり、というような事が考えられますよね。

    私も何を隠そう、煩悩の強い人間で、自己の暴れ馬の手綱さばきに苦労をしてきました。そして、何と弱く、愚かで、同じ過ちを繰り返す人間であるかを思い知らせれています。

    昨日、妻の出産の際に立ち会うための「父親学級」なる勉強会に参加させて頂いたのですが、そこで、大和ことばの
    「め(愛)ずる」という言葉を学びました。

    私たちは、大量生産、大量消費の世の中で、普段使用する便利な道具類も、簡単に使い捨てしまいがちですね。しかし、本当に今の豊かな生活が、当たり前ではない事に気づかねばなりませんよね。今の豊かな生活を失う前に気づき、感謝したいですね。この素晴らしい日本に生まれ、世界でも最高品質と評価される包丁も簡単に手にすることも出来る。

    自らの煩悩を消し去る事が出来ないように、この人間社会から凶器ともなる「刃物」をなくすことは出来ません。であるならば、身近な包丁も「家族」として大切に慈しみ、我が子を育てるように(めずる)、「研ぐ」習慣を世の中に普及してゆく事は、意義があるように感じます。

    日本の各家庭も共稼ぎが多く、忙しく時間の余裕も、心のゆとりもないかも知れません。私自身も仕事から帰り、食事を作り、ほんの10分か15分程度、研ぎの勉強が出来る程度です。この研ぎの文化を、現在の日本社会に普及していくことは、容易ではないでしょう。私は、刃物を研ぐという事に興味を持って日が浅いですが、その意義を強く感じています。

    村上先生のブログを拝見したとき、とても静かで、穏やかな波動を感じました。まるで、瞑想でもして文章を書いておられるように感じました。そして、追求して来られた研ぎの技術や知識の深さや、人間としての生き方に、ぶれない信念をお持ちだと感じました。

    村上先生は、今まで40年近くもご自身の「研ぎの世界」を追求し、深めてこられました。特に、研ぎの最終仕上げに用いる「天然砥石」のご研究に関して、研ぎの専門家として、先生の右に出る方がおられるでしょうか?そして、この度「砥道」としてご自身の追求してこられた世界を体系化し、世の中に普及していこうと、一歩を踏み出されました。

    私も、色々とやることが多く、研ぎの世界一辺倒で関わることが出来ませんが、自身の研鑽を積み、研ぎ文化の普及に、少しでも貢献させて頂ければ有難いと考えております。

    1. 人間は煩悩具足の存在では有りますが、考える葦でもある筈です。理性や公共の利益が社会全般に好影響を齎し、それが我が身にも返って来るとの認識を持てれば、直ちに我欲を満たさんとする衝動も抑制されたりするのではと期待してみたり。

      活動への御協力は、親しんで来られた数々の道への研鑽との兼ね合いを見つつ、其れらへのメリットを活かせる方向である場合や、序での際に御願いい出来ましたらと思います。今後も宜しく御願い致します。

      1. 村上先生

        刃物を研ぐ行為は、自ら考え、理性的に判断を下していく事なのでしょうね・・・。禁欲的で、苦行のような内容は多くの方々には広まりにくいと私も感じます。

        刃物の最大限の性能を引き出す研ぎ技術の習得は、簡単ではないですが、楽しみながら取り組む事ができるのが、この世界の素晴らしいところですね!

        「砥道賛成」様より、これ以上ない賛意のお言葉がありました。

        「砥道。これは、世界平和に繋がる万人にとっての利益だ。」

        焦らず、着実に共感者様を増やしていけるとよいですね!

        私は、以前から気になっているのですが、先生のブログは多くの方々が閲覧し、「教科書」のようにして学ばれておられる方も少なくないと感じます。

        しかし、コメントを書き込む方が少ないように感じています。「砥道」の理念などをお伝えする手段としても、先生のブログ等は非常に重要なツールのように感じます。

        砥道の共感者様を増やす意味でも、もっと「コメント」の書き込みが増えるような、環境整備も必要のように感じるのですが、いかがでしょうか?

        また、砥道に賛意をお持ちでも、そのご意志を表明しておられない方々もおられるように思います。

        賛成だ!

        の一言でも、書き込み頂ければ、刃物や砥石たちも、涙を流し、いや砥汁を流し、喜ぶと思うのですが・・・。

  12. 「砥道賛成」様

    コメントの内容を拝見しまして、相当に研ぎの世界に通じておられる方の印象を持ちました。
    右も、左も分からぬ初心者が、生意気なコメントばかり書き込みまして、失礼の段、何卒ご容赦くださいませ。

    一度、是非とも直接お会いしてお話、ご指導を賜ることが出来ましたら有難く思うのですが、亀岡の天然砥石館とお住まいはお近くでしょうか?

  13. 村上先生

    今、日本社会が抱える「引きこもり」について、学んでいるのですが、現在では、数十万人の方々が「引きこもり」の生活で苦しんでおられるようですね。

    村上先生は、この「引きこもり」の原因はどのようにお考えでしょうか?また、砥道が何かお役に立てる可能性はありますでしょうか?

    1. 小坊主様

      引き籠りに引き籠り問題を尋ねるのは、可成り蓋然性の高い意見を聞けると御考えの事なのでしょう。ですが、犯罪が何故に起きるのか・争いが無くならないのは何故か、と殆ど同じくらいに多様な理由が有ると思います。問題は、一線を超える者と越えない者の差でしょうか。

      金銭問題・感情の擦れ違い・土地や水利の権・民族や宗教対立・男女間の縺れ等、根は近いのでは無いでしょうか。それ故に、個別の原因に付いて対症療法的なアプローチが必要であろうと考えられますし砥道が只、其れ一つを以って解決に資すると考えてはいません。

      それでも、対症療法以外として根源的な解決法の模索の手掛かりには成るかも知れません。生老病死、とは人間の悩みの代表とされている様ですが、其処は考え方と認識の変化に因り受け止め方に差が出るのだろうと思っています。現実が変えられないのなら、受け手たる自分・動くべき主体たる自分が変われ。と言うのにも繋がりそうです。

      その観点では、先の御質問への内容と重複しそうですが、自身の精神状態を整える。あと、身体操作の精密化・直線や平面への感覚と視覚的感覚の向上などは(絵画・製図・製作、何らかの)自己実現への手助けと成り、自信の喪失や非社交的な状態からの脱皮に近付くのではと考えられます。私自身への効果は未だ十分では無いものの、プラシーボ以上の違いは出て居る様な気もします。まあ、自己暗示でも効果が有れば有用ですね。

      1. 村上先生

        ご返答ありがとうございます。
        また、ゆっくりと書き込みさせて頂きたく思います。

        1. ご無沙汰しております。

          最近、自らの勉強のために、友人知人の包丁をお預かりして、研がせて頂いています。

          先日お預かりした包丁は、「正臣作」と銘のある三徳ですが、ネットで調べましたら、「ハイカーボンステンレス」を使用との記述がありました。知人も自宅で研がれているのですが、全く切れない!と奥様に文句を言われているようです。

          使用されている人造砥石にも問題があるかも?と想像したりしています。知人が新たに、人造砥石を購入したい希望があるならば、どういった砥石を薦めればよいでしょうか?手持ちの包丁は、ステンレスの洋包丁のようです。手っ取り早いのは、「刃の黒幕」でしょうか?それとも、「研承シリーズ」が良いでしょうか?

          また、天然砥石が使ってみたい!との希望がもしあったときには、「ハイカーボンステンレス」の包丁にも適合する可能性のある天然砥石として、1本お薦めするとすれば、よい天然がありますか?ご返答可能な範囲でアドバイス頂ければ有難いです。

          1. 小坊主様

            お久し振りです、研ぎ練習に余念が無いのは流石ですね。

            御質問の人造ですが、好みや腕前・刃物との相性も有りますので厳密には各種、使って見ないと判断は難しいですね。俎上に上がった黒幕は、研承よりもラインナップがシンプルで、入手も幾分は容易なので選択・購入で便利かもしれません。1000とか2000で大抵は間に合うと思われますが、一方で低番手の硬さが落ちたとか云う評判が気に成ったり。

            研承は、シリーズが細分化されて来ているので選択の幅が広がったとも言えますが、購入者側に基準が無ければ選択に迷うでしょう。私は斬の1000とか継の3000とかが上の選択に対比するべきかと考えます。勿論、もっと他に選ぶべき石・組み合わせも有るでしょう。成の1000も個性が有りますし。面直しの労力は少し増しましたが。

            天然に成りますと、更に選択の幅が広がってしまいます。此処では仕上げ砥、との前提で進めますが・・・基本的に中硬の巣板であれば適合する可能性が高いでしょうし、もう少し切れと永切れが欲しいという事なら、硬口の巣板や同等の合砥になるでしょうか。具体的には其々、丹波系の巣板・奥殿の巣板・中山の戸前や並砥、と云った所です。案外、見落とされがちですが中山の並砥は汎用性が高くて切れ・永切れも可成り期待出来る石だと思います。戸前・浅葱とは違う砥ぎ易さも気に入っています。

  14. お忙しい中、早速にアドバイスを頂き有難うございます。

    何事も熱心に取り組む方なので、良いアドバイスをさせて頂きたいと思いご相談させて頂きました。

  15. 先ほどのコメントの続きですが、今回お預かりした包丁の所有者は、私よりは遙か質の高い取組みをされる方ですので、是非村上先生を紹介させて頂きたいと考えております。

    今回もご丁寧に有難うございました。

砥道賛成 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>