刃物と砥石の相性

 

 

突き詰めていけば、人造でもそうですが特に天然砥石は相性が大事と強調されます。その相性の実態は個々人で考え方・受け止め方が様々でしょうが、自分の実感としては或る刃物に対して、同等他種の砥石より研磨が速い・鋭い刃が付く・仕上がりが綺麗で均一、というものです。これを違う表現にすると、「一段下(荒い)の粒度の砥石を使うまでも無く研ぎ下ろしてくれ、一段上(細かい)の砥石を掛けたといっても良いほどの鋭利な切れを得られる」となります。

上の文の後半はややオーバーとしても、そういう傾向を感じている人はかなり居ると思われます。この様な素晴らしい砥石に巡り合えば最高な訳ですが、そうでは無い砥石に対しても様々な工夫で実用上、問題ない範囲まで性能を向上させうる方法も考案されています。代表例は古来からの名倉・共名倉で、違う砥石の粒子を加えて研磨力向上や傷防止、研磨痕消退などの効果を発揮させる事です。それを更に発展・強化する形で近年では、人工の研磨剤の微粒子を用いて、天然砥石では成し得ない薄さの刃先を形成する事も可能な様です。特に極限の薄さの削り花を目指す鉋の薄削りや、研削痕が皮膚に悪影響を及ぼす剃刀では目的に合致しやすいと思います。

しかし、其処まで追い込むと刃金の表面は、金属組織由来の炭化物などで浮き出る砂地模様が無くなって行く様です。実際、天然でもほぼ完全に鏡面に成る砥石は勿論、そうでなくても今回手に入れた田村山では、表面の炭化物を研ぎ減らす傾向が丸尾山に比べてやや強い印象です。炭化物が大きめ・硬めになり易い特殊鋼の類に向いていると云われる所以だと思いますが、刃先の最先端部を含めて刃金部分に研磨され難い炭化物(元々のサイズは小さい方が有り難いですが)が優先的に残されている方が、耐摩耗性に於いては有利では無いかと思います。砥石の研磨力が優れている程、元来の炭化物のサイズ以下まで小さく研ぎ下ろせる代わりに、刃先の最先端部に基材の部分が多く現れる事にも繋がり、短期での切れは最高でも長切れには不利になる可能性が考えられるからです。研磨力に優れる人工の研磨剤では更に顕著でしょう。

これまで、自分が雑用に使用してきた炭素鋼の包丁に、母親が使っていた古いペティがあります。昔は薄いブレードで鋭角な刃体構造による切れ味しか認識していなかったものですが、その後、鋼材としての性格が見えてからは焼きが甘く、組織もやや荒い、極端に粘り重視の仕上がりだと認識しました。つまり細かい組織による精細な切れではないと。こう云った特徴の製品には、返りが取れ難いステンレス製品と同様に、最終仕上げにカミソリ砥クラスで返りの無い揃った刃先とする事で、切れと長切れに繋げていました。

ところが今回、若狭の田村山(硬口戸前系)で研いで見て正にぴったりの相性に驚きました。この砥石はその硬さから予想できる下限とは言わずとも上限ではない、中庸な細かさでしたが、カミソリ砥の一歩手前の切れに仕上がりました。しかし問題は其処よりも、切れ方が刃物任せでなく使い手によるコントロール性が高く(方向転換や切れ込むペース)、鋼材の組織なりの細かさを生かした感触です。通常、カミソリ砥で仕上げられた炭素鋼の刃先はかなり均一、或いは一定の方向性を感じるものですが、それとは違った方向です。そして研磨が速く研ぎ易い傾向も見られました。

確かに、問答無用で鋼材としての物理的な限界手前まで、薄い刃先に仕上げられる砥石は最高の切れが得られるかも知れませんが、個々の鋼材や製造法の違いによる個性を生かす事とは相容れないのではないか。少なくとも、絶対的に鋭利な刃先を求めて仕上げられた限界性能のランキングで、中間より以下の評価を下された刃物が日の目を見る事は有るのか。そう思ってしまいます。

自分は、性能的に何らかの項目で不満が有る刃物でも、その項目を幾らかでも改善し、他の項目を向上させ、使い手に可愛がって貰える状態に近づけたいと思ってきました。以前、コメント欄で尚さんに「切れ味は程ほどでも大事にして貰える包丁を目指す」といった趣旨で返答した気がしますが、取りも直さず上記の気持ちからです。その意味では、刃物毎の性能に於けるレーダーチャート的見地から其々の項目を、個性を生かしながら上乗せできる砥石と合わせてやる事が理想だと考えています。ですから通常、炭素鋼、特に和包丁は余程必要が無ければカミソリ砥は使いません。精々、裏押し程度でしょうか。使えば簡単に一定以上の切れが得られるのは分かっていますが、個性を引き出す観点からは「使ったら負け(?)」な気がするからです。

 

田村山と古いペティの御陰で、天然砥石に目を向け、相性に拘って探し始めた頃の気持ちを再確認させて貰いました。大変感謝しています。

 

 

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「刃物と砥石の相性」への10件のフィードバック

    1. 尚様

      いえいえ、最新のドーピング研ぎ(?)に付いて行けない古い感性と不器用さを棚に上げているだけかも知れません。

      しかし、例え高性能とは言えない刃物であっても、現状、目の前に在る(コスト削減やいい加減なコンセプトで生み出されてしまったかも知れない)そいつを、何とか性能を高めて「機能する刃物」としての存在を全うさせてやりたいと言う想いは、多少刃物を分かる様になって以来ずっと持ち続けています。

      使い捨てられるのは勿論、性能的に不満足だからと活躍の機会が可能性ゼロでは悲しすぎます。何らかのポジションを得て、名脇役になってくれると嬉しいです。

  1. 最近丸尾山に関しては戸前系統が良くなり、また以前から持っていた八枚、千枚を使うようになってきました。
    おっしゃるように個性を生かした研ぎには戸前系統を揃える必要性を感じているこの頃です。
    硬さの軟らかい刃物は時間との兼ね合いで問答無用で剃刀砥ですが、通常は巣板→剃刀砥→戸前や巣板といった流れになってきています。
    それでも剃刀砥をまだ手放せないので研ぎへの甘さが残っているようです(笑)

    1. 月山様

      カミソリ砥を主軸にして前後への振り分けで仕上げ研ぎの着地点を構築するのは、切れのレベルを極めて高い次元に保ったままバラエティを探れる優れた方法だと思います。その辺りの選択は研ぎ手の合理的な性格なのでしょう。恐らく限界の切れを作ってから個性を出すのは、峻険な頂上まで登ってから居心地の良い場所を探す様な感じでしょうか。

      自分は、好みの登山道を自分らしいペースを保ちながら何とか頂上を目指す感じかと。此方は強情我慢、と言う事になるのでしょうか(笑)

  2. 村上さん、先日はご連絡誠にありがとうございます。

    包丁を余り知らない事もありましたが、砥取家さんでの会合では、正直申し上げて皆さんがどこに向かっているのか、自分とは違う認識のもとに話が進んでいるという風で、突き詰め方の大きな違いを強く感じました。

    包丁と砥石大全を読んだり皆さんからの刺激もあり、最近良く包丁を研いでいますが、研ぎものを始めた初期衝動が過ぎた時期なのもあってとても新鮮な気持ちで楽しく研いでいます。

    例えば是秀の道具も他の職人のものも、技術のレベルは違えど次元は同じ所にあるはずだと、以前から感じます。

    それでもやっぱり良い物に触れたいですが、未熟さから壊してしまうのは恐いです。
     

    1. sixpence様

      突き詰め方にそんなに違いが有るとは思いませんでしたが、却って興味深い事ですね。確かに道具の種類・作者・使用目的・本人の使い方などで目指す所も変わるでしょうし。

      包丁は様々な種類(目的)別・製造法別・鋼材別・使用方法別で、最もバラエティ豊かな道具なので最善の形が定めきれないですね。言ってみれば規定演技に対する自由演技でしょうか。その為、創意工夫の余地が多くあり、飽きないとも言えますがある意味、手に負えません。その辺りを思い知っている人には包丁研ぎならではの難しさが理解して貰えると思います。

      技術レベルは違えど次元は同じ所、と言うのは難しい内容ですね。「刃物」総体として芸術点まで加味された造形・仕上がりへの言及か、鍛造・焼き入れ・戻しの刃金性能単体か?はたまた仕様諸元やコンセプト段階で目指していた地平は同じ筈で・・・とか?馬鹿な頭では上手くまとまりません。

      しかし名品を適正に仕上げる研ぎが出来ない内は、形を崩してしまいそうで触りたくない気持ちは痛い程分かります。改めて振り返ると、憧れの品に相応しい研ぎ手に成る為に努力している所はありますね。何時か、どんな品を前にしても構える事無く、怖じずに向き合える様に成りたいとは思いますが、それと同時に自然界の偶然(必然かも)の美に匹敵する様な美観と性能兼ね備えた作者入魂の品には、常に畏れを抱く感性で居たいとも思います。

      1. 京都から戻りますと「包丁研ぎます」と色んな人に声をかけていた甲斐あって、ずたぼろ一丁、がたがた二丁の包丁がやってきたので、早速ハマグリ刃、肉を抜く、っというのを初めてやってみました。

        鎬の角を落とすだけで手早く終わるだろうと思っていましたが、結構大変なものなんですね。
        しかし研ぐ時間が長くなるにつれ工程を進めるにつれ、非常に面白くなってきてここのところは包丁ばかり研いでいます。

        ただ肉を落として小刃付けしただけですけど、味わった事の無い切れ味になりました。

        “同じ次元に~”というお話ですが、電工ナイフには鍛冶屋の仕事、という様な雰囲気は無く、鉋や切り出し等に触れてから、名品、名工の技、そして自分の未熟さも強く認識する様になりました。

        何か名工が鍛えた物だと芸術品の様な認識に陥りそうですが、例えば是秀の鉋でも無名の鍛冶の鉋でも、それが“よし、道具を作る”“仕事をする”という姿勢でつくられた物であれば、それは人が使う為の道具であり、土俵は同じ所だという様な。
        だから初めて触れる個体には出来るだけ客観的に向き合い判断を下す様にしています。十万でも千円でも刃物は刃物ですし、それでこそある驚異的な技の驚異さが芯から味わえ、楽しめるのだと思います。

        気づいてはいませんでしたが、拝見した司作の包丁は日野浦さんと村上さんのお二人の仕事が合っての感動だったのかも知れません。
         

        1. sixpence様

          包丁の肉抜きまで至れば、刃先の切れだけを斬れ味と認識している層とは一線を画する様になりますよね。後はその抜き方で、経験知識を元にした自分の理想・或いは個別の要求に対する解答を形にする事が出来れば良いだけですが、これが一足飛びに実現しようとすると包丁を削り過ぎる事になったり、包丁その物がその仕様に耐えられない出来だったり、技術的・装備的に困難だったりと一筋縄ではいきません。

          道具を作る上での土俵は同じ・スタートは横一線、とは額面上、言えるかも知れませんが、仕事に於いて目指す目標や製造の上で重視する項目・個人の資質(気性・知識・身体能力など)その他、かなりの違いが有り、恐らく一人前の仕事が出来る時にはかなり、その後の特に最晩年には大きく差が出るでしょう。

          確かに千円でも十万でも同じ刃物ですが、鋼材・熱処理・造形(整形や歪み取り)で大きく仕上がりが違ってきます。特に熱処理はしくじると柔いのはもだしもポロポロ崩れる物も有り、裏梳きや切り刃、平が綺麗な面で構成されていない物は後からの修正が困難です。そしてある程度、物を観てくるとその仕様やレベルが感じられます。和包丁では霞みや改良霞みの違い等ですね。後はメーカー毎の出荷における合格ラインのばらつきとか。ですので、客観的にフラットな目線で相対するのは基本ですが、作業に入る前からある程度、素性を見抜いて掛からないと要不要の作業内容・期待出来る仕上がりの範囲が作業後半にならないとはっきりしなかったり、あれこれ迷い・作業のやり直しに繋がりやすいです。

          上記の内容にも関わりますが、製造が確りしている刃物は追い込んだ研ぎに対しても応えてくれる度合いが大きいです。仰る様に司作はそこにも惚れ込んで愛用しています。他の刃物も基本的に研ぎ傷を消して刃金の研ぎ肌が鑑賞に堪えるレベルで有って欲しいと考えています。巣板での曇り仕上げにも、カミソリ砥クラスでの鏡面仕上げにも良さがあります。しかし、鏡面に近付くにつれ、その作業工程に釣り合う結果が出る刃物は少ないと思います。最終的にそのレベルまでを求めるのであれば、刃物自体の出来がかなり重要になって来るでしょう。司さんにも度々、「自分の作った刃物とは思えない」とか、「見本として買い戻したい」とか言われますが、作者にそう言われるなら、一応刃物にも作者にも失礼にはなっていないであろうと安心しています。

  3. 抜き方、そうですね。
    今はまだ抜く事を覚えただけの段階で、抜き方まで云々出来ません。

    多分この先に段階的にハマグリ刃を作って行くとか、鍛冶屋さん、鋼材を試してみるとかなってくると一層楽しくなりそうです。
    平治さんのは以前から気になっています。

    肉を抜いていくと、刃身の歪みやなんかの刃物の出来がぐんと顕著に現れてくる感じがします。

    村上さんの仰る「製造が確りしている刃物は追い込んだ研ぎに対しても応えてくれる度合いが大きい」というところなんでしょうね。

    そこで迷うのは、例えば刃元から切っ先までを素直にきっちり研ぐと切れ刃の幅にばらつきが出てしまう時など、歪みは気にせず研ぎ上げてしまうのか、歪みに合わせて研いでやるのか・・・。
    きっと使用した時の使い勝手を考えれば良いのだと思いますが、自分は余り料理をしないのでそういう見方が出来ません。

    特に覚え始めだと、自分の不備なのか製品の不備なのか、ここら辺を分かって進んでるのか否かが結構重要です。
    分かっていないとどうしようもない泥沼にはまっていきます・・・。
    最初の時ほどある程度以上の精度の良い物を使うべきなんでしょうね。

    裏スキその他の構造、材料と鍛造、これらの及ぼす影響と重要性はここ半年位で強く意識するようになってきました。
    やはりものを見ると違いは歴然で、頭だけでなく感覚としても理解出来ます。

    日野浦さんのお話は素晴らしいですね。きっと氏も嬉しいでしょうね。
    自分の仕事の扱われ方もありますが、レベルの高い使い手の要求にその自分の仕事がしっかり応えられているという事なんですから。こういう扱われ方もあるんだ、という予想外の新しい発見もある様な気がします。
     

    1. sixpence様

      勿論、構造の精度が高く、研ぎ進めても面や線の狂いや変化が少ない、と言うのも良い刃物の「答え」ですが、研ぎ肌の美しさ(組織の細かさや、刃金・地金共通で硬度・炭素量の変化部分で景色が変わる)自体が既にかなり個性的です。鏡面にした場合が特に顕著で、そこで「研ぎに応えてくれてるな」と実感します。司さんも事ある毎に、「ここまで研がれると刃金の粒子が見えて来て、逆に刃物の出来も現れるなあ。傷(物理的のみならず様々な瑕疵)が見え易くなるし」とかも言われました。又、「過去には同業や関係者に金属顕微鏡なんか使ってもしょうが無いだろう。客はこんなレベルで来ないんだから。と言われたが、後に数人、そんな相手が来たので無駄では無かった」とも話していました。因みに、気になって自分くらい研ぎ込んでいる人かと尋ねると、其処まで研いでる変なのは来てないとの事でした。

      研ぎのスタートは精度の高い品で始めるのは重要だと思います。そうして構造や形の成り立ちを理解していく事で、適応範囲も広がるでしょう。御指摘の切り刃の幅が均一にならない包丁も割合ありますが、これは「堺製の磨きの和包丁を基準として見れば」に近いと思います。黒打ちではそもそも整形前とも取れる訳で、厚みの変化が均一でない或いは一律のテーパーでない事にも繋がります。司作は敢えて作者の好みで(刃体の)厚みの変化が中央と先で薄い為、鎬筋はS字になります。まあ、極端に言えば一定に厚みで一定の角度の刃付けなら、一直線の鎬筋になりますが其れだと余り有り難みも無いですね(走りや抜けが期待しにくい)。

      では料理の場面での実際は?となればやはり過去にもホームページの説明項目(ブログだったかも)で記載しましたが、調理に於ける「カットの精度を何処まで求めるか」になるでしょう。最大限拘るなら、「薄刃包丁」が相応しいでしょうし、其処までで無いなら、切り刃が広めで刃線が直線気味、刃は片刃気味の刃付け。と言ったエッセンスを取り入れた仕様の三徳などでも良い事になります。結局見た目重視で無ければ切り刃の仕様をどうするかで決めれば良いでしょう。(刃元から刃先まで均一なベタでも良いし、自分の様に刃元から切っ先まで、うっすらハマグリでも。)使い手が満足する事。包丁が活かされ・長持ちする事。作り手の気持ちを反映する事。出来るだけこれらを満たす様に心掛けています。

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