昨日の研ぎ講習 西洋剃刀

 

数か月前に、西洋剃刀の研ぎを御依頼頂いたK様が研ぎ講習に来られました。研ぎ依頼の際に、剃刀は普段から依頼で研ぐ事は少なく、得意とまでは言えませんが・・・と返答した上での御依頼でした。しかし、御試用の結果は悪くなかったとの事。

今回も又そういう意味では同様で、御伝え出来るのは研ぎ其の物に関わる項目が大半となり、剃刀特有のポイント?(多分あるでしょう)などは何処まで追求できているか不明ですよと御断りした上での講習でした。切れ其の物が安定して良くならない(一度は上手く出来たそうですが)点と、先端が思う様に砥ぎ難いのを改善する目的でスタート。

 

 

 

初めに刃を確認した際に、刃線が軽くアールを描いている感じと両端が後退している印象を受けました。レーザーとしてみれば、その形状は一つの方向性として有るでしょうし、特に先端は直線よりもカーブしている方が都合が良いとしている専門家も知っています。

 

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研ぎ前の画像

 

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一応、先ずはツライチと云うか平面に研いで全体が砥面に当たるのを狙って砥いで行きます。やはり、両面共に中央や其の周辺から当たる部分が広がります。

 

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人造の1000と3000をメインに交互に研いで行きます。荒い1000の傷を消しつつ、形状を整えます。

 

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先端は(顎も同様)厚みも少なく後退しているので、ベタ研ぎで当たる迄に減らすと大幅な無駄が予想されます。従って、此処からは現物合わせの研ぎに変更。

最初は、先端付近を狙って峰側を浮かし、振り子の動きで(本来は放物線でしたが難易度低減の為)研いで下さいと。しかし此れも不安定に成るので、いっそのこと先端二点は浮かさずにハンドル側を持ち上げて砥いで貰いました。此れで幾分かは安定して狙った部分へアプローチ可能に。

 

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巣板で仕上げ研ぎも。砥石に対して水平に押し出す・斜めに押し出す・カーブを描いて押し出すなどの研ぎ方も試しつつ。

 

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同じ砥石で研いでも、砥面への接触・圧力やスピードの安定加減で砥ぎ目や返りの出方が違う事も確認。

 

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最終仕上げは、奥殿の浅葱の二種で調子を見ながら。

 

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K様には、自宅まで来て頂き有難う御座いました。私が説明出来るのは当日の内容程度ですので、どれ程の御役に立てるかは分かりませんが今後の剃刀達の手入れと活躍に資する所が有りましたら幸いです。今後も、私で御役に立てる事が有りましたら宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

「昨日の研ぎ講習 西洋剃刀」への6件のフィードバック

  1. 先日は長時間の講習ありがとうございました。
    手元の剃刀を一つずつ矯正がてら研ぎ直していますが、今までいかに力任せな研ぎ方をしていたのかを突きつけられている所です。
    正確な動きで研ぐのはまだまだ難しいですが、練習を続けるより他ありませんね。

    またたくさん見せていただいた砥石は研磨力もさることながら、見た目や手触りも良いものが多く楽しい時間でした。
    研削/研磨の能力と関係なく、見た目がきれいだからという理由で欲しくなる個体もいくつかあって、ちょっとまずい感じになっていたりもします。

    砥石の選択など今後も相談させていただくと思いますが、またよろしくお願いします。

    1. K様

      講習当日はサミット前日と云う中、御足労頂き有難う御座いました。

      人造と天然、適した研ぎ方や砥面の管理も少しずつ違ったりしますが、双方の長所を組み合わせて良い仕上がりを目指すのが最善かと考えています。其の上、御指摘の通り天然には魅力的な色と柄を持つ物が多く、就中、自然な形を其の儘に活かした原石では造形の妙さえも楽しめます。良くも悪くも砥石沼にハマりつつある方には御理解頂ける部分ですね。

      今後も、天然砥石の選別や使い分けなどで御役に立てそうな場合は、御相談を頂けましたら幸いです。微力ながら御力添えをと思っております。

  2. 天然砥石について質問ですが、先日知人より聞かれて困りましたので、お伺いします。刃物研ぎで扱う天然砥石と、書道関係で扱う「硯」は何が違うのでしょうか?硯も広義では、天然の砥石です。中国で産出される「端渓硯」などは、きめが細かく、「仕上げ砥」にもなる性質があるのでは?とふと想像もしたりします。

    硯は、彫刻なども施され、外観も美しく、よいものは非常に高価です。研ぎで扱う天然砥石とは比較にならない程高価です。書の道も道具にこだわれば切りがありません。硯と墨の相性や用いる紙で千差万別です。経済力がなければ踏み込める世界ではありません。また、書の世界も当然、「技術」の鍛錬を要する世界です。プロの書家を目指す人が、目指す一つの道として、技を高め、他と競い、金を貢ぎ、展覧会に出品して肩書きを得る方法があります。私は、その道には嫌気がさしました。負け犬です。

    何をするにしても、目的地を明確にしないと、そこへは辿りつけません。

    「刃物の性能を最大限に引き出す研ぎ」を目標にするならば、最高の研ぐ技術と、その刃物に最適な砥石が必要になりなすよね?自己所有の限られた刃物のみを対象に考えて、砥石を所有するのであれば、まだ現実的と思えますが、ボランティアで不特定多数の刃物を対象にして「最高の性能」を追求するのは現実的ではないように感じます。

    村上先生は、
    「自分が自分自身の一番のストーカーであり、クレーマーである。」とおっしゃいましたが、その自分とは一体何なのでしょか?身体操作を極めると言われますが、その身体とは一体何でしょうか?例え、身体操作を極めても、やがて肉体は老化し、思うようには操作できなくなりますよね?

    先生は、自分自身との対話を繰り返され、研ぎを極めて来られました。研ぎを極めるとは、結局のところ、「自己を極める」ということか・・・?と感じ初めています。
    先生が、他人からどんなに評価されようとも、満足しない!と言われますが、釈尊がこの宇宙の真理を悟られましたが、村上先生もそこを目指しておられるのでしょか?自分とは何か?人生とは何か?私は考え続けていますが、答えが見つかりません。

    研ぎの技術を極めたところで、人はやがて死にます。基調な天然砥石を収集してもあの世にはもっていけません。そのように考えると虚しくなりますね。

    また、愚問を重ねてしまいました。
    「硯」との違いについてのみご教示下さいませ。

    1. 小坊主様

      この前の講習で、コメント欄にて余り難しい話を長く続けると、一般?読者の方には読むのが辛いかも知れませんねと話しましたよね(笑)。十二時間の内、大半は難しい話もしましたし・・・重複する所も有るかも知れませんし。そもそも、精神世界や宗教的理念を追求して来られた方の疑問・煩悶への有効な返答などは、社会不適応のボンクラには答えられよう筈も無いですし。そうなると単細胞を問い質して楽しむ趣向とでも考えざるを得ませんが・・・まあでも、聞かれたからには自分なりに考えてみますか。

      取り敢えず、硯に成る石と砥石は近い質だと認識しています。ただ、地質的には近くても砥面?と考えると向き不向きが出るみたいですね。端的に言うと、(拡大したら)硯の表面には或る程度の粗さと云うか突起状の性状が求められる様です。使い続けて此れが摩耗すると目を起こして使い続けるとか?となれば少なくとも、砥石にするには仕上げ・超仕上げには向かないのかも知れません。場合によっては「針気が有る」として避けられる、難の有る砥石の方が巣板に流用できる可能性が?などと考えています。硯も、そんなに高価な物が有るんですね。でも、其の高価は希少な石・性能の良い石・自然の造形・装飾の美、何れの要因からなんでしょう。砥石の場合は、大きさと整った形状・ブランド・質で数十万や数百万(此れには承服しかねる部分も有りますが)の値が付く物も在りますので、価格比較では良い勝負なのではと思います。

      以前にも書きましたが、素粒子などで満たされた無では無い空間に於いて、密と粗の違いが個体と液体や気体との違いとも考えられます。人間が中庸の密として存在し、然る後に粗に薄まって行くのが死だとすれば、自然界の流れや波によって拡散して行く風化でしかなく嘆く事も程々で済むはずだと考えています。天然砥石も、別にワタクシの囲いに蒐集していると言うよりは、中庸の密である自分が(折角、意識を持つ機会を得た訳ですから)意志の力で方向性を以って自律的に粗(世の中)から密(砥石のグループ)へ影響力を行使した、と成ります。自分が死んでしまえば又、新たな密に集積されるのか粗に戻って行くのか生々流転としか言いようが無いですね。まあ、研ぎで砥石は直方体からコロイド・エマルジョンみたいな状態になるので、単体を使用する時点で正に粗になって行きますね。

      折角、粗で無い状態に生まれた・成れたのですから、どうせなら性能を引き出したり向上させたくなりませんか?其れが美や正確性をも伴うならば余計に完成度の高い存在に。存在できる一定期間を、燃費走行で長時間存続狙いでなく、テクニカルコースや高速コーナーを華麗にクリアしたい方向も有って良いのでは無いでしょうか。とは言え、全ての方面で最高性能を目指すのは現実的では無いので、ボランティア研ぎでは手持ちの砥石で可能な範囲、で問題無いでしょう。此れも以前に書きましたが、出会った刃物を其の場の道具で目一杯、良い状態にするのも立派なチャレンジですから。その努力は、最高の道具を探す・使いこなす場面でも間違いなく役立つ事でしょう。

      1. 村上先生

        「硯」と「天然砥石」の違いについて、ご説明いただき有難うございました。また、私の個人的な煩悶に対してもご対応頂きまして、本当に恐縮致しております。

        まず、「硯」と「天然砥石」の問題ですが、「針気がある」ということを刃物研ぎの仕上げ、超仕上げの際には嫌うのですね。文意がよく理解できておらず、申し訳ないのですが、「巣板」は針気があり、「硯」としても利用できる・・。そのように解釈してよろしいでしょうか?

        他の読者の方の、益にもならぬ内容の質問ばかりで申し訳なく思います。この先生のブログのコメント欄に不適切であるとご判断下さった内容の質問に対しては、不掲載または、無視をして下さって構いません。宜しくお願い申し上げます。

        1. 小坊主様

          針気は寧ろ、合砥(戸前とか浅葱とか)で問題にされます。余程、硬口の巣板なら同様に感じるでしょうが、巣板の場合は巣や不純物等、更に派手な振る舞いをする輩が目立ちますので・・・。

          コメント欄に来た物は、基本的にスパムメール以外は選別・削除した事は無いので、其の方向性は変えたくないのです。別に小坊主様のコメント内容が殊更、私の好みに合わないとかブログ内容とかけ離れている、と迄は感じませんが、魂の在処や霊性の認識・宗教観に及ぶ質問への、一介の研ぎ屋の認識や思想がどれ程の方々に求められているのか?技術論が細かいだけでも鬱陶しいと感じられる可能性も有る訳ですから、上乗せでウザがられるのではと。

          まあ、そもそも過疎っていて読者も限られるブログの、しかもコメント欄ですから、心配するほどの迷惑にも成っていない可能性が高いのですが・・・少なくとも知り合いの二人からは懸念された経緯も。唯でも堅くて、愛想の無い文章しか書いていないのに余計に厄介がられるぞと。総合的に考えると、まあ稀には良いとしたいので、足りない分はメールででも御寄せ下さい。それでも、超絶難解な質問は御控え下さい(笑)。各分野で其々、相応しい賢者・論客はいらっしゃるでしょうから。

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